山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集
これは、髭黒に仕えていた性悪女房たちの問わず語りである。髭黒は玉鬘との間に男子三人、女子二人をなして、最後は太政大臣にまで至り亡くなった。遺された玉鬘は姫たちの将来を考えて悩んだ。姫たちには今上帝、冷泉院、右大臣・夕霧の息子の蔵人少将(母は雲居雁)が求婚しているが、玉鬘は上の大君を臣下と結婚させる気は全くない。しかし最も激しく大君を欲しているのは蔵人少将だった。
いっぽう玉鬘は当時十四、五歳で光源氏の血を引く貴種の薫を気に入っており、心密かに婿候補と見ていた。薫は玉鬘邸に出入りするようになると貴公子らしい振る舞いが女房に称賛され、蔵人少将はそれを羨んだ。
だが結局、玉鬘は大君を冷泉院に嫁がせた。かつて自らが冷泉院に望まれながら髭黒に嫁したことへの償いである。蔵人少将は激しく落胆し、薫も内心残念に思う。退けられた今上帝も不興を示した。大君は翌年皇女を産んだことで院の溺愛が募り、院の他のきさきとの関係がぎくしゃくし始める。
玉鬘は、今上帝の不快を回避するため下の中の君を尚侍とした。だが数年後、大君は皇子を出産してさらに冷泉院の寵愛を独占し、周囲に憎まれて里がちとなる。気苦労の多い玉鬘は、昇進の挨拶に訪れた薫につい愚痴をこぼすが、二十三歳で分別のついた薫は、後宮の悶着は予想されたことと突き放す。あの蔵人少将も昇進して挨拶に訪れ、玉鬘は出世の遅い我が子たちを思って嘆くのだった。
**********
性悪女房の問わず語り
平安時代の物語作品は、「もの語り」という名の通り、語り手が語るかたちで書かれている。そして多くの物語において、語り手はいろりばたで物語を語る年寄りと同じだ。見てきたように読者にストーリーを開陳してはくれるが、もとより架空の話だから、登場人物をじかに知っている様子はない。
ところが「源氏物語」の語り手は違う。「夕顔」巻の末、語り手はこう言う。「こんな恋の失敗談は、光源氏様がひた隠しになさっていたから漏らすのもお気の毒で、遠慮していたのですけれど」。
何とこの語り手は、光源氏が空蝉や夕顔と恋をし、かたや拒絶され、かたや女の変死に終わった巻々・・・・「帚木」「空蝉」「夕顔」の内容を、光源氏自身は隠していたと知っているのだ。しかも結局それを読者に語ってしまったのは、光源氏のことを「作り事」つまり架空の話のように言い立てる人々がいるからだという。
まるで光源氏が実在したかのような物言いではないか。そう、「源氏物語」の語り手は、読者の世界の人物ではない。光源氏が、紫の上が、そして六条院が存在した世界の人物なのだ。彼らを近くから見て、様々の事件を知っていた女性。おそらくは女房である。
ところでこの語り手、「源氏物語」の五十四帖を通じて一人かというと、そうではない。「桐壺」巻の語り手は光源氏生誕以前からの宮中の事情に詳しい。いっぽう「帚木」「空蝉」「夕顔」三帖の語り手は光源氏の十七歳ごろをよく知り、平安京でも受領や庶民の界隈に詳しい。前者は重々しく語り、後者は軽い口調で、雰囲気もかなり違う。
つまり語り手たちは、巻ごとに違い、あるいは巻を超えて登場して、全部で何人なのかの見当もつかない。それが最もはっきりと分かるのが「竹河」巻だ。その冒頭には、「これはのちの太政大臣(髭黒)周辺に仕えていた性悪女房たちたちによる、問わず語り」だとある。
「竹河」巻は、ドラマの番外編のように、脇役玉鬘のその後にスポットライトを当てる。語り手もそれにふさわしく、玉鬘に近く彼女をよく知る、髭黒の女房たちと設定されている。