山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集
その頃、世から見捨てられた親王がいた。光源氏の異母弟で桐壺院の八男(八の宮)だが、かつて朱雀院の治世に右大臣派閥に利用され、東宮だった冷泉院を廃太子とする陰謀に加担したため、光源氏の政界復帰後はなきものとされていたのである。八の宮は愛妻を亡くし男手一つで二人の娘・大君と中の君を慈しみ育てていたが、京の邸宅が火災に遭い、娘たちと宇治の山荘に移り住んでからは、俗聖の生活を送っていた。
その八の宮が帰依する阿闍梨(あざり/あじゃり)を通じて、薫は二十歳の時に八の宮の存在を知った。心に憂いを抱え仏道に傾斜する薫は俗聖という生き方に惹かれ、やがて宇治の八の宮邸を親しく訪うようになる。
三年が過ぎた晩秋のある日、薫が宇治を訪れると、八の宮はたまたま山寺に籠って不在であった。山荘付近でゆかしい楽の音を耳にしていた薫は、庭先から大君と中の君の姿を垣間見る。月下で琵琶と筝の琴を奏で機知に富んだ会話を交わす二人に薫は魅了される。しかし大君の応対は消極的であった。
ところが、代わって応対に出た老女房・弁は唐突に泣いて昔語りを始め、薫は弁が自分の出生の秘密を知る人物と悟る。京に戻って後も大君と文を交わし、好色の匂宮にわざと宇治の姫君たちのことを話して自慢しつつ、内心では弁の言葉のほうが気にかかってならない薫だった。十月、薫は宇治に赴き、弁から実父・柏木の遺書を手渡された。そこには女三の宮と薫を想う気持ちが切々と綴られていた。
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乳を奪われた子、乳母子の人生
「橋姫」巻、薫は宇治の八の宮邸で老女房・弁の君と出会い、亡くなった実父・柏木の遺言書を渡されて、自分の出生の秘密を知る。この巻で初めて物語に登場する弁の君が、なぜそうした秘事を知り、遺言書さえ持っていたのか。「若菜」巻や「柏木」巻では、柏木と女三の宮の間をとりもっていたのは、女三の宮の女房・小侍従だったはずだ。
実は、弁の君は柏木の乳母の子、小侍従は女三の宮の乳母の子だった。弁の君は自らも柏木に仕えていて、弁の君と小侍従、二人の乳母子の手を経て、恋文は通わされたのだという。ならばあの罪の恋、結果的には女三の宮を出家に追い込み、柏木の命まで奪った邪恋の陰には、乳母子たちの恐るべき連係プレーがあったのだ。それにしても、二十年以上も経ったいま秘事を蒸し返すとは。これが乳母子の忠誠心というものなのだろうか。
平安時代、高貴な女性は、自らは子育てをしなかった。乳母を雇って、授乳や着替えや添い寝、大きくなればその子のしつけや教育にあたらせた。授乳が仕事ということは、母乳が出る状態ということだから、乳母には多くの場合、乳を与えるべき実施がいることになる。乳母は数人雇われることも多く中には授乳しない乳母もいたが、それにしても子育て経験のある人が望ましいに違いなく、ならばほとんどが実の子を持っていたと思われる。
乳母は二十四時間労働で養君(やしないぎみ)に付き添う。家には戻らず、夜も養君やその親のそばで眠る。困ってしまうのは乳母の夫と子供だ。乳母子は養君と一つの乳を分け合ったように思われるが、そうではない。養君に乳を奪われた子供なのだ。しかし養君は、乳母だけでなく、あわよくば乳母の夫や子どもたちをも出世させてくれる、金のはしごだ。