やがて紫式部には、少しずつ彰子後宮のことが見えてきました。職場の友達もできました。
第一の親友になってくれたのは、小少将(こしょうしょう)の君です。この方は、何と中宮彰子の従姉妹(いとこ)にあたります。父君が道長の妻倫子のきょうだいでしたが、出家して亡くなられたため、結局姉の大納言の君と共に姉妹で中宮彰子に出仕となりました。父君が出家されるまでは、明日を疑うことなど一切なかったでしょう。それが今は従姉妹に雇われる身なのです。彼女の気持ちを考えると、不憫としか言えません。
悲しいほどにか弱い小少将の君。紫式部は自宅の女房しか知らずに、女房とはみな品のよくないものだと思い込んでいましたが、彼女は芯からお嬢様でした。「世」に阻まれて本意ならぬ人生を生きているのは、紫式部一人ではありませんでした。身分の上下を問わず、人は「世」に苛まれるのです。
それはまた、小少将の君の姉妹である大納言の君においても同じことでした。この方は源則理(のりまさ)の妻でしたが、夫の足が途絶えてしまった(身分の高い父親が亡くなり大納言の君の家に通わなくなった)ため、やはり中宮彰子の女房になりました。ところがその可愛らしい美貌が道長の目にとまり、今は女房ながら愛人という扱いを受けています。倫子は「身内の娘だから」と大目にみている様子ですが、内心はおもしろくないでしょう。ですが大納言の君とて、望んでそうなったのではありません。むしろ、不運な姪を心配して雇ってくれた倫子に対して恩を仇で返すことになってしまい、彼女は苦しんでいました。これもまた逃れられぬ「世」なのです。
二人とは、よく歌を介して気持ちを打ち明けあいました。例えば1008年の夏。土御門殿で、毎年恒例の「法華三十講」が営まれていたとき、夜になってもその熱気は冷めやらず、仏前の燈明と庭の篝火(かがりび)が水面に映って、辺りは昼よりも明るく輝いていました。そんな中で、大納言の君は自らこう口にされました。
― 澄める池の 底まで照らす 篝火のまばゆきまでも 憂きわが身かな ―
現代語訳
[澄み切った池の底までも照らすこの篝火は、何と輝かしいのでしょう。でもその光が恥ずかしく、つらくてならない私なのです。]
姿形の美しさも若さも備えて一見何の悩みもなさそうに見えるのに、大納言の君は心の奥深くで思い乱れていました。彼女はそれを、歌で紫式部に打ち明けてくれたのです。
盛大な法事は明け方まで続きました。紫式部は辺りが白々とする頃局に引き上げた後も、縁側に出て外を眺め物思いにふけっていました。それから思い立って隣の局の小少将の君に声をかけ、二人並んで局の下を流れる庭の遣水を眺めました。水面には先ほどまで紫式部一人、今は小少将の君と二人の姿が映っています。紫式部は歌を詠みました。
― 影見ても 憂き我が涙 おち添いて かごとがましき 滝の音かな ―
返し
― 一人ゐて 涙ぐみける 水のおもに うき添はるらむ 影やいづれぞ ―
現代語訳
[水面に映る姿を見ても、つらくて涙がおちてしまう私。すると、まるでそのせいと言わんばかりに、滝が水音を高鳴らせるのです。]
小少将の君の返し
[一人ぼっちで涙ぐんでいた。水に映る影。その隣にもう一つ、同じように憂いながら寄り添った影。あなたに私がよりそったのかしら、それともあなたが寄り添ってくれたのかしら。]
紫式部が詠んだのは、ただ自分の愁いに満ちた気持ちだけでした。だのに小少将の君は、紫式部の愁いと彼女自身の愁い、二つを心にいれて読んでくれました。別々に泣いていた孤独な心同士ですが、今は寄り添うことができたと。
紫式部は一人ではありませんでした。水面に浮かぶ影たちは、同じ心を持っていました。
参考 山本淳子著 紫式部ひとり語り