山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集
光源氏は三十二歳の秋、思い立って桃園邸を訪れた。故桐壺院の弟・式部卿宮(光源氏の叔父)が亡くなり、娘の朝顔の姫君が齋院を辞して、この実家に戻っていたからである。朝顔の姫君は光源氏にとって従姉妹だが、十代から長く言い寄り続けてきた相手でもあった。だが朝顔の姫君はそっけなく、光源氏を近づけない。それでも光源氏は帰宅後も和歌を交わすなど、姫君への想いを消すことができないのだった。
世間は光源氏と朝顔の関係を噂し、紫の上は不安定な自分の立場を実感して、危機感を抱く。光源氏は中年には不似合いな恋の病に取り憑かれ、再び桃園邸へ。だがそこで、十数年前に関係した老女・源典侍(げんのないしのすけ)に出くわす。相変わらずのあだっぽい仕草に辟易しつつも過ぎゆく時の無常を思い、いたわしくも感じる光源氏だった。
いっぽう朝顔の姫君は、光源氏の求愛を一蹴。その本心は、彼の妻や恋人の一人として埋もれるよりも仏道にいそしみたいというものであった。光源氏はそうした彼女の思いを察することもなくいらつくが、すねる紫の上をなだめることで傷ついた自尊心を紛らわせた。
ある夜、光源氏が紫の上に過去の女のことを語りながら眠ると、夢枕に藤壺が現れて、光源氏を恨む。藤壺は成仏していなかったのだ。光源氏は泣きながら目をさまし、藤壺に代わって自分が地獄の苦患(くげん:苦しみ、なやみ)を受けたいと願う。三途の川の畔まで、そこにもう藤壺がいなくてもいい、行きたいと思う光源氏だった。
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「初開の男」という言葉がある。女性が初めて体を許した相手のことだ。文字面からしてあられもなく、何やら淫猥な小説のタイトルにでもなりそうなのだが、実はこの言葉、典拠は経典なのである。
この世とあの世の間には、三途の川が流れている。死者はこの川を渡り、冥界の王の裁きを受けて、極楽に往生するか地獄に堕ちるかを決められる。仏教ではこうした考え方を「十王思想」という。「十王」とは閻魔大王はじめ冥界の王たちのことで、もともと大陸では王が十人いると考えられていたので、こう呼んでいるのだ。
くだんの「初開の男」が登場するのは、その十王思想に則って作られた「仏説地蔵菩薩発心因縁十王経」である。この経典によれば、三途の川には渡し場があり、そこには奪衣婆(だつえば)と健衛王(けんえおう)がいて、亡者を川向うに追い立てる。その際、「初開の男」を尋ねて、女人亡者を背負わせる。牛頭(ごず)が鉄棒で二人の肩を挟み疾瀬(はやせ)を急がせて、向こう岸に着くと奪衣婆が衣服を剥ぎ、健衛王がそれを木の枝に懸けて罪の重さを測るのだという。
即座に様々の疑念が頭をもたげる。「初開の男」がいない、つまり生涯処女であった女性はどうなるのか。「初開の男」がまだ生きている場合には、女人は彼の死を待たなくてはならないのか。複数の女人の「初開の男」となった場合は、何度も駆り出されるのだろうか。ならば忙しくて仕方のない男性もいるのではないか。そして、そもそもどうして「初開の男」なのか。
つまりこれは、処女性の問題なのだ。実はこの言葉が見える「仏説地蔵菩薩発心因縁十王経」は、インドで作られた由来正しき経典ではない。中国で原型が作られ、しかし内容が盛りだくさんになったのはさらに日本に伝来してからという、いわゆる「偽経」である。「偽経」などというと途端に印象が胡散臭くなるが、こうした経が生まれ、広く信じられる土壌が、当時の日本にはあったのである。
だが近年になって、「仏説地蔵菩薩発心因縁十王経」は「源氏物語」が作られた二百年後にようやく今のような文章となり流布したものという見方が広まっている。
それでも「源氏物語」以前にも、男と女の三途の川は「蜻蛉日記」や「平中物語」などで詠まれているから、経典の形をとらないまでも処女にこだわる思いはもう生まれていて、人々の心の中には「初開の男」の俗信が腰を据えていたのだろう。
夫婦が極楽で再会するという考え方は、「源氏物語」には確実にあった。いわゆる夫婦の「一蓮托生」、後世に言う「夫婦は二世」だ。極楽浄土では、夫婦は一つ蓮華の上に暮らすと考えられていた。先に死んだ者は、連れ合いのために蓮華の座の半分を空けて待っているのだ。
とはいえ光源氏、この蓮華の連座の台を持ち出す相手は藤壺だけではない。紫の上にも女三の宮にも「極楽では同じ蓮の花の上で暮らそうね」と、歌に詠んだり約束したりしているのだ。あの世でも六条院のように巨大な蓮華台座を営もうというのだろうか。