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27 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激 」

27 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激 」

 第2章
 米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手”ハル・ノート”
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い

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2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激

  日本では十二月八日午前六時に、アメリカ、イギリスに対して戦争状態に入ったことを知らせる、ラジオの臨時ニュースが流れた。
 「臨時ニュースを申し上げます」というアナウンサーの声に続いて、「大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表 帝国陸海軍は本八日未明西太平洋においてアメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり」という、短い発表が流れた。

  日米開戦の日の夜、東條首相は午後7時から首相官邸の小食堂において、杉山参謀総長、永野軍令部総長、岡敬純海軍省軍務局長、星野直樹書記局長、谷正之情報局総長、山本熊一外務省アメリカ局長などの政府、軍幹部の18人を招いて、夕食を共にした。厨房で用意された中華料理が供された。

  この席上、東條首相は海軍側から真珠湾の戦果が発表されると、相好を崩して、「予想を大きく上回る。これで、いよいよ、ルーズベルト(FDR)も失脚だね」と言って、喜んだ。
  すると、杉山参謀総長が「先ごろ、石清水八幡に参拝したが、そのとき、今度の戦争に神風の助けを借りなくて済むようにと、祈ったよ」と、言った。

  海軍は機密が漏れることを極度なまでに恐れていたから、首相だった東條にも、陸軍にも、知らせていなかった。

  ワシントンでは、12月7日に真珠湾が攻撃されたその日のうちに、ルーズベルト(FDR)大統領が主要な上下院議員を、ホワイトハウスに招いた。
  ルーズベルト(FDR)は議員たちと握手を交わすと、自身に満ちた声音で、「私はわが国が攻撃された場合以外には、戦争に突入することはあり得ないと、繰り返し誓約してきたが、われわれは攻撃されたのだ。このことには、何らの疑問もない」と、語った。

  この日、ホワイトハウスにおいて、ニューヨークのCBSラジオ放送のエドワード・マロ―が、ルーズベルト(FDR)夫妻から夫人同伴で夕食に招かれていた。
  マロ―はCBSのニュース番組のキャスターで、全米で人気が高かった。
  マロ―は午後、まだニューヨークにいたが、ラジオで日本が真珠湾を攻撃した第一報を聞いた。
  そこで、ワシントンのホワイトハウスに連絡して、夕食が予定通りに行われるのか、たずねた。変更がないと、知らされた。

  マロ―は夫人のジャネットを連れて、ワシントンに着くと、ペンシルバニア駅からタクシーで宿泊先のヘイ・アダムス・ホテルに入った。身なりを整えると、ホテルから徒歩でホワイトハウスの前のあまり広くないラファイエット公園を抜け、ペンシルバニア大通りを横切って、ホワイトハウスの北玄関から館内に招き入れられた。
  小食堂に通されると、エレノア・ルーズベルト夫人が待っていた。

  エレノアが「いま、夫は上下院議員や、軍幹部と緊急に会っている」と言った。
  結局、大統領は夕食に参加することなく、ファーストレディが自らつくった手料理が運ばれてきて、振舞われた。手料理は、炒り卵だった。この日は日曜日だったために、シェフが休んでいたので、エレノアがつくったのだった。

  食事が終わる前に、大統領の案内係のパウエル・クリムがやってきて、大統領が食事後に、マローと話したいと言っていると、伝えた。
  食後に、二階にある大統領専用書斎の前で、マローは真夜中近くまで待たされた。そのあいだ、上下院議員や、高級軍人が忙しく出入りした。

  やっと中へ通されると、ルーズベルト(FDR)が広報担当補佐官のウィリアム・ドノバン大佐をともなって、待っていた。
  ルーズベルト(FDR)はマローに不安そうに、「アメリカ国民は真珠湾攻撃が、日本の一方的な仕打ちであることを、ちゃんと理解して、宣戦を布告するのを一致団結して、しじしてくれるだろうか?」と、たずねた。

  ルーズベルト(FDR)はマローが答えようとすると制して、イギリス外務省高官のホワイトヘッドから受け取った「独裁諸国からの攻撃によって、アメリカはかならず固く団結する」と書かれた電報を読みあげたうえで、「われわれが(日本に)宣戦布告するのを、アメリカ国民は結束して支持してくれると思うかね?」と、もう一度、念を押した。
  マロ―が「もちろん、国民は一致して支持します」と答えると、大統領が安堵して表情を緩ませた。

  翌日、ルーズベルト(FDR)大統領は議会両院総会に臨んで、「アメリカは日本による卑劣きわまる騙し討ちを、被った。アメリカにとって、屈辱の日(The Day of Infamy:写真参照)である」と述べて、日本に対して宣戦布告することを求めた。

  議員が総立ちになって、割れるような喝采のなかで、対日宣戦布告を承認した。

  後にスティムソン陸軍長官がこの日について、
 「私は日本が(真珠湾を)奇襲したという、最初のニュースが届いた時に、何よりもまずほっとした。この危機が到来したことによって、決断できなかった時が去り、アメリカ国民全員を一致団結できるのだと思って、安堵した。
  (真珠湾における)損害の報告が、刻々と入ってきて、急速に大きくなっていったにもかかわらず、そのあいだ中、深い満足にひたった」
  と、記している。

  ロンドンでは、十二月七日(ロンドン時間)に、チャーチル首相が午後九時に日本軍がハワイでアメリカ艦隊を襲撃したというニュースを、ラジオで聞いて知った。
  チャーチルはすぐにホワイトハウスを呼び出して、ルーズベルト(FDR)大統領に電話を入れた。

  チャーチルがラジオのニュースを確認すると、ルーズベルト(FDR)が意気揚々として、「日本は真珠湾を攻撃した。いまや、われわれは同じ船に乗ったわけだ」と答え、チャーチルが「これで、事が簡単になった」と、相槌をうった。

  チャーチルは後に著書「第二次世界大戦」のなかで、「彼ら(ルーズベルト(FDR)とその側近)が長い間の苦しみから、解放されたように思えた」と、述べている。

  そして、この日、日本の参戦によって、「すでに戦争に勝った。(略)われわれは戦争に勝ったのだ。(略)私は感激と興奮によって満たされて、すっかり満足して床につき、救われたことに感謝しながら、安らかな眠りにおちた」と、述べている。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長
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