4-1 色好みの女君たち
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」一部引用再編集
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「大和物語」には、一首の歌に添えた短い詞書ほどの記述のなかに、色好みのはての命運が身にしみるものがある。
「先帝の五のみこ、御むすめ、一条の君」は、清和天皇の皇子貞平親王の御むすめで、一条の君と呼ばれて、宇多院の尚侍京極御息所のもとに出仕していたらしい。元良親王とも色好みを認めあった贈答を残しており、宇多院の文化圏では伊勢と心ゆるしあった女友達であった。
「後撰集」にはその証のような贈答歌がある。上臈女房としての華麗な日々のはて、地方官の中でも海の彼方の壱岐守の妻となって都を去っていった。
たまさかにとふ人あらばわたのはらなげきほにあげ去ぬとこたへよ
(まれまれにも私のことを思い出して問う人があれば、はてしない海を悲しみの息に帆を膨らませて去って行ったといってください)
一条の君はどうしてこんな運命を選ぶことになったのだろう。「よくもあらぬことありてまかで給(たまう)て」とあるから、御所に居られないような何事かによって身を引いたのであろう。たった一行の言葉でしか語られていないが、清和天皇の孫に当たる女性としてはたいへんな決断であったろう。小野小町が文屋康秀に三河国に行こうと誘われたのを断ったのとは正反対の激しい行動である。
一条の君はかつて伊勢とこんな贈答歌を交わしていた。手紙はまず伊勢の方から来た。久しく会う折がなかったのか、「いとなん恋しき」という消息である。ふつうなら、私もお会いしたいと思っていたところです、などというはずだが、一条の君は漫画よろしく鬼の絵を描いてやったのである。もちろん歌も添えて、
恋しくは影をだに見て慰めよわがうちとけてしのぶ顔なり 一条
(私が恋しいと仰しゃるのね。それならこの絵をごらんになってお心を慰めるといいわ。この顔はね、私がくつろいであなたのことを思っている貌よ)
何という人を食った返事だろう。こんなことを言い合う女友達だからよほどの親愛関係にあったにちがいない。才媛の伊勢の方が少し押され気味の迫力だが、伊勢ももちろん返歌を書いた。
影見ればいとど心ぞ惑はるる近からぬ気(け)のうときなりけり 伊勢
(恐ろしい鬼の顔をみると、いよいよこの鬼に会いたく心惑いしています。絵に見る鬼はやはり遠いのです。可愛い鬼さん、やはり近々お会いしましょうよ)
まさに親友どうしの贈答である。宇多院文化圏の花形女流二人の楽しげなひとときが浮かび上ってくる。盛りの日の元良親王との贈答もあげてみよう。
4-2 色好みの女君たち につづく
参考 馬場あき子氏著作
「日本の恋の歌 ~貴公子たちの恋~」