26 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎 」
第2章
米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手”ハル・ノート”
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い
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2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
ホノルルの日本総領事館が東京の求めに応じて、ハワイ時間で12月1日から12月6日にかけて、連日、真珠湾軍港に停泊しているアメリカ太平洋艦隊の艦船の艦種や、その配置や、対空火砲の配備状況について詳細な報告を外交暗号に組んで送ったのを、アメリカ側は「マジック」によって、つかんでいた。ハワイを攻撃する意図がなければ、これほど詳細な情報をもとめるはずがなかった。
ルーズベルト(FDR)大統領は、日本が12月7日(ハワイ時間とアメリカ東部時間)に、ハワイを攻撃することを、知っていた。
それにもかかわらず、マジック情報は、肝心のハワイの太平洋艦隊司令官のハスバンド・キンメル大将と、陸軍司令官のウォルター・ショート中将だけには、知らされなかった。
真珠湾が奇襲された日曜日の朝は、空がいつものように美しく晴れあがっていた。
キンメル大将は、陸軍司令官のショート中将と、オアフ島のフォート・シャフターの陸軍の九ホールのゴルフ・コースで、午前九時からゴルフを楽しむ約束をしていた。
キンメル大将は午前七時四十五分に、まだ官舎にいた。ゴルフウェアを着ていたが、真珠湾の方角から、大きな爆発音が連続して伝わってくるのを聞いて、驚いた。
「マジック」情報は、チャーチル首相、マニラのダグラス・マッカーサー・フィリピン防衛司令官、オランダ領インド諸島総督にも、送られていた。スターク海軍作戦部長が「マジック」を、「何とも素敵な仕掛け」と呼んだにもかかわらず、なぜか、ハワイにあった軍最高責任者だけが、除外されていた。
キンメルは危機が迫っていることを、知らなかったから、空母二隻を除く主力艦がすべて真珠湾軍港内に係留され、飛行場では爆薬庫に鍵がかけられていた。指揮下にあった54機のPBY長距離偵察用飛行艇も、全機が地上にあった。
ルーズベルト(FDR)大統領は、真珠湾攻撃(ハワイ時間では、十二月七日)の前夜に、ホワイトハウスに家族全員を集めて、夕食を楽しみながら、談笑した。
大統領は食事中に、中座した。ほどなくして戻ってくると、晴れやかな表情を浮かべて、家族を見回して、「戦争は、明日始まるよ」と、言った。
12月7日(ハワイ現地時間)早朝に、真珠湾から北200マイルまで迫った6隻の空母の甲板から、飛行甲板の両側に並んだ乗組員が「祖国よ。幸あれ」と、必死に手を振るなかを、第一波攻撃隊の183機が、次々と離艦していった。
日本時間で12月8日午前三時十九分に、第一波攻撃隊総隊長の淵田美津雄中佐が真珠湾の上空から、「ト、ト、ト」と奇襲に成功したことを報告する「ト連送」を発した。
ト連送は、瀬戸内海の柱島にあった、連合艦隊旗艦「長門」によっても、はっきりと受信された。
第一波攻撃は午前七時五十三分(ハワイ時間)に始まった。
真珠湾が劫火に包まれることによって、日本の一人芝居が終わった。
ルーズベルト(FDR)は日本を計画的に挑発して、アメリカを攻撃させ、日本に自殺を強いることに成功した。ルーズベルト(FDR)は、稀代の魔術師だった。
野村大使は二月十一日にワシントンに着任してから、十二月七日までルーズベルト(FDR)大統領と十回、ハル長官と六十回にわたって会談した。ルーズベルト(FDR)も、ハルも、日本をあやしていたのだった。
ルーズベルト(FDR)はアメリカをヨーロッパの戦争に参戦させるために、日本が真珠湾を攻撃することを知りつつ、ハワイの太平洋艦隊を生け贄にしたのだった。
ルーズベルト(FDR)は日本を罠に掛けただけではなかった。
真珠湾のアメリカ太平洋艦隊は、ルーズベルト(FDR)によって奇襲されたといって、よかった。
参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長