此の言葉にはずっと前から違和感があった。葬式の礼状などで「『生前』の御交誼に深謝し云々」等と使われるあれである。交誼のあったのは死ぬ前のこの世での事なのであるから「死の前」「死前」とするのが自然だと思っていたのである。先日漸く目から鱗が落ちた。(尤もこんな事詳しい人達には周知の事で、笑われるかも知れぬが、これは飽く迄「独白」なので笑われるべきものでもあるまい。閑話休題)人間にとっては此の世は仮の世で、あの世での事共が本当の生なのでこの世が生前という事に成るのだそうである。此の事がすんなりと腑に落ちたのは、私も同様の考えをずっと前から持っていたからである。それなのに今迄気付かずに過ごして来たのは、あちらが死後の事共を「生」と称するのに対して私は素直に「死」と言っているからである。人間も蝉を哀れんでいる場合ではない。人間に留まらず多分凡ての生物にとって本来の姿は死んでいる間のものであり、生きている間の事共は秀吉なども言う通り夢の又夢に過ぎないのであろう。何せ死んでいる間のほうが生きている間より遥かに長いのであるから。