独白

全くの独白

天皇退位問題の決着

2017-03-21 14:17:33 | 日記
「大山鳴動して鼠一匹」であった。
違憲の恐れがあるから、という事で始まった騒動が、何ヶ月も掛けて擦った揉んだした挙句に、体裁を整えただけの実質的には違憲の、特例法の成立と執行と言う決着を見る事に成りそうである。
而も代替わりのたびに今後とも此の空騒ぎは繰り返される事に成ろう。
何せ今回は「特例」なのであり、その特例法自体だか、特例法と一体である典範の附則だかに、今回の騒動の経緯を克明に記した上で、「こうした法整備が将来の前例に成り得る」様に設えるのだそうであるから、今後も「退位」したいと思った方は今回同様の、又は幾分違った形での意思の表明が必要とされる筈である。そして御表明が在ったからには余程の方で無い限り、又も国民の共感の下に今回同様の空騒ぎが繰り広げられる事に成るのであろう。
無論一応の道は出来たので今回よりは静かであろうが、抑その出来上がったものが実質的違憲への道である上に、次以降には恐らく今回の関係者は既に今の役職に就いては居まいから、本当に此の遣り方で良いのかとの意見が改めて出て来る筈で、殆ど今回の議論の蒸し返しのような事態が出来するに違い無いのである。挙句に又しても実質的違憲の決着を見る事に成るので在ろう。
このように御座成りで体裁を取り繕うだけの遣り方で良ければいっそ皇室典範に、「継承に就いては皇室に委ね、揉めたり強制の動きが見られたりと言った問題の在った場合にだけ皇室会議を開く事にする」と言うような条文を捩じ込めば、少なくとも毎回の空騒ぎだけは避けられそうである。
尤も私は、このような個別具体的な問題への容喙をしたいのでは無い。
私は日本国民であり、自ら選挙に出る気も無いので、投票した時点で国会議員に立法の事は委ねてしまっている。
それなのにその肝腎の選良や我が国の誇る官僚諸氏や有識者等が寄ってたかって出した結論がこのようなものでは、愚痴位零したくなる。
勿論この問題が一筋縄で絡め捕えられる様なものでない事は、専門家の間でも幾つもの見解がある事に鑑みても知れる。
抑の原因の一つはこの問題の大きな因子である憲法が、GHQの管制下で創られたものである事である。(大体武力に関する事等に就いても見られる通り辻褄の合わない所だらけで、文体が破綻してしまっている。如何にも直訳的であり、翻訳を重視し過ぎた結果と言えよう)
結果として従来の天皇の属性の一つである「日本を統合する力の象徴」の中の「力」を天皇から切り離してしまいたいGHQの画策に依り、その事が憲法の条文にも明示され(そこに明示された天皇の地位の意味の解り難さに、それが外国人の無理強いに依る条文である事は暗示されてしまっている)、皇室典範も新たなものが作られ、天皇や皇族は、法で雁字搦めにされてしまったのである。尤も皇室典範自体に、新旧で然して違うところは無い。
但し旧憲法は欽定されたものであり、詰まる所践祚問題に就いても皇室典範に就いても、個としての天皇自身の意志に則っている訳であって、無理は生じ得ない筈である。併し本来、法の対象たり得るのは、抽象的総体であって、神でも人でも、苟も個たるものを、完全に法の支配下に置く事等できる筈は無いのである。
因みに被雇用者などに於ける職務上の言動や動向は、直接には被強制に拠っているように見えて実は当人の積極的に結んだ契約に依るものであり、法的強制等に依るものでない事は言を俟たない。隣の伊藤さんを、完全に法で支配しようと思ったら、特例法にでも頼るしか在るまい。特例法の存在意義はそのような処に在るのみで、違憲行為の免罪符と成り得る様なものではあるまい。
更に例えば「大統領」は役職でも「天皇」は違う、役職に就いての規定と同様に、一から十迄取り決めてしまおうと言う遣り方に無理の在るのは当然である。
従って天皇退位問題に限れば憲法を改正して、皇位継承に就いては、「意志に依ってであれ体調に依ってであれ御随意に、御自身と御身内で、良きに御計らい戴く」という事にするのが最良の方法であろうが、それは今のところ止めて置いた方が良かろう。
改正しようとすれば序でに触れざるべき処の改定をも図る輩が居るからである。
特に九条辺りに手を入れるのが考え物である事は、南スーダンの日報問題での内地の幹部の独断専行に鑑みれば明らかである。
憲法に就いての私の夢は、国が本格的に改定を図る前に、政界に打って出る事に等興味の無い、本物の学問好きの憲法学者が、「これでどうだ」と言うような草案を出してくれる事である。それ迄は文章の破綻に目を瞑っても、恣意的解釈とそれに続く暴走を許容する曖昧さのある条文に依る、今以上の憲法への侵食を許さざるべく心を砕く事が必須であろう。
いつそんな日が来るのであろうか。ま、此の世の事物は万事が仕掛品、死ぬ迄そんな日は来ないにせよ、気長に待つしかあるまい。
私は若い頃馬鹿げて極端な事を本気で考えていた。同じ人間であれば能力にも体力にも然程の差などありはせず、自分も本気に為りさえすれば出来ぬ事等無いと思っていた。高い所から飛び降りれば、直後には死んでしまうにせよ、其れまでは空を飛んだ事に成るではないか等と半ば本気で思っていた。
時間の力も無視していて、自身を含む万人のそうした無限の力は死ぬ迄変わらないとも思って居たものである。
だが爾後、桁違いの天才や、努力の長期間の積み重ねに依り天才的能力を身に付けた人達に就いての見聞を重ねるに連れて、人間同士の間に厳然として在る差異を認めざるを得ない様に成ったのは言う迄もない。
併し今回の騒動を見ると、矢張り嘗ての考え通り、特別に優れた人間等世の中に在りはしないのだと、思わざるを得ないのである。
換言すれば、如何に優れた者が人間の中にいたところで、人間の世界自体を含めた、吾人を囲繞する魑魅魍魎のように複雑怪奇な事態や環境に適切に対処する能力に於いては凡人と、五十歩百歩に過ぎないという事である。
因に、別段こんな事を考えるべき立場に居る訳でも無い私が、かかずらってしまって泥沼から這い上がれずに居るのは偏に、此の現世の煩雑極まる態様との、脳裡での格闘を面白く思うが故に過ぎない。