「易」と映画と「名文鑑賞」

タイトルの通りです。

世界一貧乏な大統領の、突き刺さるスピーチ「今、人間が見直すべきこと」

2015年10月28日 15時09分27秒 | 日記
考えさせられる名演説です。

以下引用--------------------------------------------------------
(引用元 http://whats.be/2180)

世界一貧乏な大統領の、突き刺さるスピーチ「今、人間が見直すべきこと」
リオ会議(環境の未来を決める会議)でウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ大統領のスピーチが考えさせる内容だ。ムヒカ大統領は自分の資産の80%を寄付し、郊外の質素な住宅に暮らしている。 給与の大部分を財団や政府などに寄付し月1000ドル強で生活するしているという。
2014.02.26

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。

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名文鑑賞 一年有半 兆民中江篤介 1

2015年10月28日 12時16分15秒 | 漢文漢籍名文鑑賞
名文鑑賞 一年有半 兆民中江篤介 1
一年有半 p28 「この故に暗殺はその是非を論ずべきにあらずして、ただその国社会において果たして暗殺の必要を生じたること、これ甚(だ)哀しむべきなり。人あるいは勢に乗じて鴟張して忌憚する所なし。その悪を恣にすること明らかなるも、法律の公においていまだ把捉すべからず、彼や自ら恃みて毫も顧みず、是において義に激する俠雄の徒起ちて天下のためにこれを刺す、これ洵に勢やむをえざるなり。伊庭の事、けだしかく信じたるのみ。此を以て更に一歩を進めてこれを論ぜば、文運大に開け法律用なくして、道徳独り力を逞しくして、乃ち一国人々皆君子なる暁は知らず、いやしくも社会の制裁力微弱なる時代にありては、悪を懲らし禍を塞ぐにおいて、暗殺けだし必要欠くべからずというべき耶。」兆民中江篤介

山本夏彦翁のご紹介?で四書五経から始まり漢文漢籍を読むことを少しく愉しむようになってはや十余年。
枕元で寝る前に、深夜に目覚めて二度寝の前に、最近では三浦しをんの在庫が切れたので回帰して、再読再々読。
一読目で付箋を貼った個所を特に味わうと、心を揺さぶられるような感覚を得る事が出来るので、最早中毒。
夏彦翁の言うように、言っていることの中身ではなく(もちろん中身も重要ですが)その文章を味わえということがようやく理解できてきたような。
上記の文章を読んで、気の早い(短い)人は、暗殺礼賛文となるのでしょうが、再読、音読、筆写してみると・・・名文檄文名調子であることがわかるでしょう。惜しむらくは・・・横書きでは興を削がれる・・・。

一年有半と並行して孫子再読。おもしろくてやめられないとまらないエビセン。
大好きな「孟子」と同じで、やはり金谷治先生の文章は、これも中毒になる。東北大で聞いてみたかった・・・。40年前はオベンキョウしない学生だったので愚痴にも値しませんが・・・。

前者は絶版。後者はちゃんと売ってます。前者も中古市場にはありますが、高くなってます。なさけない・・・。
それにしても、最近のホンヤさんは、岩波文庫を並べているところが少なくなったような…

漢文漢籍の素養が無くなっていくと、どこぞのおくにのように漢字を捨てたり簡略化したりしていって、国を誤ることになるのだろうなぁとおもえて仕方がありません。
「祖国とは国語である」(シオラン)のになぁ・・・。

身体髪膚、之を父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕わすは、孝の終わりなり。(孝経)この文章、なんて良いリズムなんでせう。

公よりも私の方がクソ忙しくて、忸怩たるものがありますが、そんな時ほど、こういう無駄?な、無為?な時間を過ごしたくなるのは、丁度中間や期末試験前ほど貸本漫画の冊数を増やした時のようで、未熟な事、進歩の無い事極まりなし・・・ぁぁ。

「人間のたった一つのつとめは、生きることであるから、そのつとめをはたせ。」竹内浩三

こういう無駄なヒトリゴトには決して近寄らないでください。年寄りの世迷言のお相手は不要ですので通り過ぎてください。

筆者拝

2014/11/19作成