「易」と映画と「名文鑑賞」

タイトルの通りです。

(承前)「機械ある者は必ず機事あり。」3 出典 岩波文庫 金谷治 訳 「荘子 第二冊 外篇」天地篇 第十二 

2016年04月24日 14時45分19秒 | 漢文漢籍名文鑑賞
(承前) 「機械ある者は必ず機事あり。」3 出典 岩波文庫 金谷治 訳 「荘子 第二冊 外篇」天地篇 第十二 p122~ 起承転結の「転」

 子貢はちぢみあがって顔も青ざめ、ぼんやりして意識もはっきりせず、三十里も歩いてから、やっとわれをとりもどした。その門人がいうには、「さっきの方はどういう人ですか、先生はまたなぜあの方に会ってとり乱され青ざめられて、一日じゅうわれにかえられなかったのでしょう。」
 〔子貢は〕答えた。「はじめ、私はわれわれの先生(孔子)こそ世界の第一人者だと思っていた。あんな人物がほかにいようとは思わなかった。私が先生から教えられたのでは、ものごとには善いものを求め、仕事には成功を求め、骨折りは少なくて効果は大きいというのが、聖人の道である。ところが今の人はそうではない。しっかりと道をまもっている者は本来の徳(もちまえ)が完全であり、徳(もちまえ)の完全なものはその肉体も完全であり、肉体の完全なものは精神も完全である。精神の完全なのが聖人の道なのだ。生をこの世にあずけて民衆とともに生きてゆきながら、どこに行くとも知らない。とらわれなく自由で生地(きじ)のままの完全さだね。仕事の利害とからくりの巧妙など〔を考えるの〕は、きっとあの人の心を失ったものだ。あの人のような方は、自分の志が働くのでなければどこへも行かず、自分の心が望むのでなければ何事もしない。世界じゅうから非難されて自分の言うとおりにならなかったとしても、泰然としてとりあわない。世界じゅうが謗(そし)ろうと誉(ほ)めようと、それによって〔うごかされることがない。〕増えもしなければ減りもしない。こういのを全徳の人(本来の徳をあるがままに全うする人)というのだろう。わたしなどは風波(ふうは)の民(風に動かされる波のようなふらふらした民くさ)だ。」

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