arata-tokyo-jp's blog(Henry Nagata)

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日本がアジアの人たちと仲良くなる為に・・・

2005年08月17日 05時53分52秒 | エッセイ
先日NHKの番組で「日本のこれから」、「アジアの中の日本・戦後60年・互いの理解をどう深めるか」というトーク番組をやっていました。
第一部は17:00~18:30、第二部は19:30~21:30、第三部は22:30~24:00、全部で5時間の長時間番組です。
私は二部と三部を見ました。
番組には外務大臣、評論家、教師、一般の人たち、外国の人たち数十人が集まって熱の篭ったトークを繰り広げていました。

色々な意見が出ましたが、簡単にまとめますと・・・
「日本はもっと過去の歴史を知るべきである」という意見に対しては、
「中国も間違った歴史教育(反日教育)をされている」という意見が出ます。

「中国で反日教育がされているというが、中国の歴史の教科書で日本について書かれているのは、ほんの数パーセントに過ぎない」という意見に対しては、
「教科書には書かれていなくても、教育する教師がかなり反日教育をするよう仕向けられている」という意見が出ます。

「南京大虐殺を非難する意見」に対しては、
「南京大虐殺は事実ではない」、
「虐殺はあったかも知れないが、30万人も虐殺されたというのは事実ではない」という意見が出ます。

中国や韓国の人たちの考え方は、
「両国が仲良くなる為には、過去の歴史を知ってからにして欲しい」
「日本がアジアの人たちに行った残虐行為を知って欲しい」
「靖国問題には敏感な事を知って欲しい」というものでしょう。

それに対する意見としては、
「中国や韓国の人たちは、日本を嫌いになるような反日教育を受けている」
「中国も歴史を正確に伝えなければならない」
「両国がお互いに歴史教育を見直さなければならない」
「何処の国でも愛国心が生まれるような教育をするのはごく自然の事である」
「日本の学校ではマルクス主義に偏った教育をする教師が多いので、歴史に関してはあまり深くは教えられていないのだ」というような意見も出て来ました。

さて、評論家や専門家?たちが歴史の細かい事実を取り上げて教えてくれるの事は、非常にありがたい事なのですが、参加した日本の一般人(大学卒の人)が「私には歴史の知識が無いので、恥ずかしくてあまり話す事が出来ません」などという人まで出て来て来る始末です。

この番組が終わった時の私の気持ちは、
「疑問、疑問、大疑問!」
「不満、不満、大不満!」でした。




私の日頃の考え方をお話致します。

1.中国の反日デモと暴動について・・・
この時の日本のマスコミの取り上げ方は、
「この反日デモと暴動が起きたのは、総理大臣の靖国神社参拝が原因である」というような一方的な見方で、総理にインタビューをしているように見えました。
総理はその度に「靖国参拝は平和を願う気持ちから行っているのだ」と言っています。

本当に小泉首相の靖国参拝が暴動の原因なのでしょうか?
靖国参拝は小泉首相だけが初めて行った行動なのでしょうか?
事実はご承知の通り、歴代の首相が何度も参拝をしている訳です。
過去には今回のような暴動は起きていないと思います。
反日デモはあったかも知れませんが。
ここで混同してはいけない事があるのです。

良識的な反日行動や良識的な反日デモであれば、首相の靖国参拝が原因であると考えて良いのです。
しかし、大使館や日本企業の家屋に対して、投石をしたり破壊行為をするような「反社会的」な行動は靖国参拝が原因と考えてはいけないという事なのです。
この反社会的な行動は「犯罪行為」だからです。
静かな反日デモであれば問題はありません。

テロというものを考えてみれば分かり易いと思います。
テロをやるからには、それ相応の理由があると思います。
皆「自分のやっている事は正しい事だ」と思ってやっている訳です。
しかし例えどんな正当な理由があろうとも、テロというのは反社会的な行動ですから罰せられるべき犯罪行為なのです。
このテロの原因は「犯罪者そのもの」にあるのです。
敵国をに対し深い憎しみを持っている人の全てがテロ行為をする訳ではありません。
憎しみを持つ事は、どんな人にでもある精神状態だからです。
また、憎しみを持つものに対して、静かなデモ行進を行う事などは、否定されるべきものではありません。

例えば、原爆の被害にあった長崎や広島の人たちがアメリカに憎しみを持ち「反米思想」を持ち続けていたとしても不思議はないと思うのです。
時代が変わったのだから「アメリカを好きになりなさい」などと言ってみても無理な話だと思います。
反米思想は今の日本にとっては「反政府的」な思想ではありますけれども、「思想の自由」が認められていますからこれは自由ですし、反米のデモ行進をしても問題はありません。

しかし、デモではなく「暴動」であれば、この暴動の原因はアメリカに原因があるのではなく、暴動を起こしている個人の側に原因があるのです。
これはごく少数の犯罪者がやる事だからです。
つまり「反政府的」という事と「反社会的」という事を混同してはいけないのです。
「反政府的」な行動は法律的に許されていますが、「反社会的」な行動は「犯罪行為」なのです。
反政府的な思想というのは、国を良くする為に必要な事でもあるからです。

例えば、大切な家族や友人を殺された者にとっては、犯人を憎む気持ちがあって当然の事です。
これは自然の人情です。
しかし、憎しみを持っているからといって、裁判に頼らずにその犯人を自分の手で殺してしまえば、これはどんな理由があろうとも「犯罪者」として処罰されてしまうのです。
こういう事をやる人というのは、ごく一部の過激な人です。
今回の中国人の暴動を「犯罪行為である」と指摘、非難した日本のマスコミはあるのでしょうか?
日本のマスコミというのは、「中国の事を悪く言わない」というのが常識のような気がします。




2.二つの事実について・・・親日家のアジア人の話
中国で反日感情が高まった理由の一つは、中国にいる親日家のTV番組製作者が戦争ドラマの中で日本人の俳優を使い、親日的なドラマを放送した事がきっかけになったようです。
そして、その日本人の俳優に人気が高まった事が反日的な中国人の感情を煽ったのです。

また韓国で反日感情が高まった理由の一つは、親日家の韓国人の人気歌手が親日的な本を書いた事がきっけになったようです。
この人はこれがきっかけで10年以上やっていたTV番組の司会を降ろされてしまいました。
これはチョ・ヨンナム氏の「殴り殺される覚悟で書いた親日宣言」という本なのですが、今年の初めに、近年の日本体験を基に「ぼくはだまされていた」とし、日本をもっと多角的に見ようではないかという趣旨で書かれたエッセーのようです。
韓国では日韓問題などで日本を擁護したり評価したりすると、社会的に抹殺されるというような事が今でもよくあるという事です。

私は思いました。
中国や韓国にいる親日家の人たちは、両国民が正常な関係になって欲しいと願い、善意の気持ちから親日的な作品を書いたのだと思います。
しかしまだ時期が早すぎたようです。
早すぎては全くの逆効果で、お互いに迷惑な事が起きてしまうのです。
あまりに親日的な過激な行動は控えて頂きたいと思います。

例えば最近のニュースでは、原爆を落としたB-29爆撃機の乗務員の発言などが目に付きます。
「原爆投下は間違っていなかった」・・・と。
戦争を早く終結させる為にはそれしか方法がなかったという事です。
日本政府が早く終結するような努力をしなかったからだと言うのでしょう。

また長崎や広島の人の中に何時までもアメリカを憎む人がいたとしても、それは仕方のない事だと思います。
「憎しみを持ってはいけない」などと宗教的な説教をしてみても無理な話だと思います。
反米思想は持っていても差し支えない訳ですし、良識的な著述活動やデモ行進も問題はない訳です。
確か沖縄の新聞では「天皇皇后両陛下」とは書かずに「天皇ご夫妻」と表現していると聞いた事がありますが、このように「表現の自由」は認められている訳です。
しかしこの問題には過敏になっていると思うのです。
もし親米家の日本人が、B-29の乗務員と同じように「原爆投下は止む終えなかったのだ」などと発言したらどうなるのでしょう。
やはり無神経と言われても仕方がない事だと思います。




3.日本の過去の歴史(残虐行為)を勉強しなければ仲良くなれない・・・という考え方について
NHKのトーク番組を見ていますと、ある錯覚が起きてしまうのです。
評論家や専門家がかなり深く勉強しなければ分からないような内容の話を得意そうに話しているのを見ますと、本当に一般の人の知識では太刀打ち出来ない訳です。
歴史の知識のない人では恥ずかしさを感じて発言出来なくなってしまうような錯覚が起きてしまうのです。
これではアジアの人たちが、「日本人はもっと過去の歴史を勉強しなければ仲良く出来ない」という意見と同じようなものです。
本当にそうなのでしょうか?

長崎や広島などに修学旅行に行く学生たちに対して、「語り部(かたりべ)」という人たちがいたと思います。
過去の原爆の記憶を後世に伝える為に、過去の苦しい被爆体験を語る人たちの事です。
しかし最近ではこの人たちの中にも「かたりべ」を止める人が出て来ているようです。

では、長崎や広島の人たちと仲良くなる為には、語り部の人たちから被爆体験を聞いてからでなければ仲良くしてはもらえないのでしょうか?

アメリカ人は語り部の話す悲惨な被爆体験を聞いてからでなければ、日本人とは仲良くなれないのでしょうか?

過去のアメリカ人が原爆を落としたからと言って、現在のアメリカ人に対して「反省しろ」とでも言うのでしょうか?

歴史の知識のない無学な人たちや歴史をまだ勉強していない幼い子供たちは、アジアの人たちとは仲良くなれないとでも言うのでしょうか?

人と人とが愛し合う為には「語り部」が必要だと言うのでしょうか?

過去のドイツ人がユダヤ人を虐殺したからといって、現在のドイツ人に対し「反省しろ」とか「もっと過去を勉強しろ」などと言うのでしょうか?
そして、そうしなければ本当に人と人とが仲良くなれないのでしょうか?

中国や韓国の人たちは、長崎や広島の人の話を聞いた事があるのでしょうか?




4.もっと対話を・・・
一国の総理大臣が、
「靖国参拝は永久戦犯の人に対して行っているのではない」
「日本の現在の繁栄は過去の人たちのお陰であるから参拝は当然である」
「日本の過去の過ちを反省し、世界の平和を願って行っているのだ」
というような意味の事を何度も何度も、繰り返し繰り返し話しているにも関わらず、それを全く聞こうともしない。
信じようともしない。

ただ一方的に日本に対し「過去の過ちを反省しろ」
「靖国参拝に敏感な人たちの気持ちを理解しろ」
と言うばかりです。
過去の過ちに関しての保障の問題は日中の政府間では既に問題は解決されているという事です。
靖国問題一つを取り上げて、戦後の日本の平和的な努力を全く無視してしまうような考え方。
日本政府は反省していないという決めつけ。
根強い不信感。

このような事で平和がやって来ると言うのでしょうか?
話し合いが全く出来ない状態ではないですか。
話し合いなくして進展はあるのでしょうか?
日本のマスコミは「日本政府の方が悪い」とでも言いたげなのは一体どういう訳なのでしょう?
例えば仲の良い家族や友達であれば、信頼感を持ちながら本音で話をしたり、喧嘩をする事も出来ると思います。
いくら話し合っても無理と言うならば、いっその事もっとぶつかり合って喧嘩でもしてみては如何でしょうか。
しかし信頼感がなければ喧嘩さえも出来ない筈なのです。




さて、反日感情が高まった原因には、この番組の中では取り上げられませんでしたが、日本の国連常任理事国入り問題、竹島問題、東シナ海ガス田問題、沖の鳥島問題、中国の潜水艦の領海侵犯・・・などもあると思います。
という訳で、マスコミの考え方や評論家の話す専門的な知識も大切だとは思いますが、知識や記憶力に頼るのではなく、もう少し「素直な気持ち」になってこういう事をもう一度考えてみたら如何かと思った次第です。
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4 コメント

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Re日本がアジアの人たちと仲良くなる為に・・・ : (dumbo)
2005-09-16 08:30:30
こんにちわ。

これは難しい問題なので、誰か先にコメントを書かないかな?と様子を伺っていました。それで今頃のこのこと出てきました。



アメリカにいるので視点が変わってしまいますが、この白人社会の中にいるとアジア人はどこか似たものを感じて仲が良いです。私はここに来るまで韓国人の友人がいませんでしたが、「生涯の友」と呼べるような人と出会いました。最初はどう接していいかわかりませんでしたが、お互い異国にいるという共通性に大いに助けられて親しくなりました。



知識としては、、、、最低限の歴史を知ること、日本を含め各国が歴史によって傷を抱えたこと(&傷口の周りは痛いこと)を知ること、は必要だと思います。その先は、個人、グループ、国家レベルで対応が違ってくると思いますが、9の批判より、1の興味を大切にしたいです。

返信する
人への気配り (あらた)
2005-09-19 21:58:20
ダンボさん、こんにちは。コメントをありがとうございます。



仰るように「歴史の認識」による相手に対する心配り・・・これは大切な事だとは思います。

ただ私としましては、それは大切な事のほんの一部分に過ぎないと考えていたのです。



例えば・・・

以前、長い付き合いの友人たちを家に招いて、毎年何回か飲み会をしていたのですが、その内の一人がある宗教団体に入った為に、アルコールとカフェインの入った飲み物が飲めなくなってしまったのです。

こういう事は、宗教に対して全く興味のない他の友人から見たら、かなり「馬鹿馬鹿しい事」のように見えると思うのです。



現にこの二人の友人は飲み会の最中に口論になり、険悪な状態になってしまったのです。

それだけが原因ではありませんが、せっかく20年間も続いた我が家での飲み会は、その後はやらなくなってしまったのです。



私自身は若い頃から宗教関係の本は沢山読んで来ましたけれども、宗教団体には全く興味がない人間です。

ですから友人の勧誘にも拒否して来ました。

しかし、友人の「立場」は尊重してあげたいと思っていたのです。

ですから彼の為には、バービカン(ノン・アルコールのビール?)やコカ・コーラなどを用意していたのです。

彼本人は、水やお湯でも良いと言っていたのですが・・・



人とのお付き合いをする上での「気配り」というのは、宗教、食事、人生観、趣味、社会的立場の違い、心身の病気・・・などへの心遣いがあると思います。

歴史の認識というのも、その大切な事のほんの一部分に過ぎない・・・と考えていた次第です。
返信する
同感です (dumbo)
2005-09-20 13:37:13
あらたさん、こんにちわ。

お返事ありがとうございました。

上記に書かれたことを読んで全くその通りだと思いました。人と人が接するって、確かに気配りや心遣いが必要ですけどそれはどちらかというと上澄みの部分、本当に大事なのは、(いろんな表現があると思いますが)、その人の立場を尊重する、その人をその人として認める、ということだと思いました。



返信する
批判と品格 (あらた)
2005-09-20 15:52:06
ダンボさん、こんにちは。

コメントをありがとうございます。



仰るように、人の立場を尊重したり認めるという事は大切な事ですよね。

でもどうして人というのは、自分の趣味や考え方を無理やり人に押し付けたり、また相手がそれを理解出来ないと簡単に軽蔑してしまうのでしょう。

私は何度も軽蔑の眼差しで見られた事がありますよ。



私は人に対して批判的な意見を言う事はありますけれども、相手をバカにしている訳ではないのです。

ですからまた逆に、

私に対する「批判」に対しては、全てよく聞いて理解しようとは思いますけれども、私をバカにしたり、いじめたりするような批判?の場合には、拒否的態度を取る訳です。



家族に対する批判のように、例え鋭い批判をしても相手を尊重しているような批判と、内心相手を軽蔑しながら言う批判とでは、かなり次元が違うと思うのです。



どうしても愛情の伴わない批判というものは、「冷たく」、また「下品」になってしまうと思います。
返信する

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