日本では各地で季節ごとの美しい風景を眺める事が出来ますが、東京でもたまにはその季節ならではの「絵になる風景」というものを見る事があります。
今でも印象に残っているは、「雪と柿」です。
若い頃に、白い色紙に柿の実をを描いた日本画のような物を見た事がありましたが、私がその意味を理解したのは随分後になってからの事です。
今から20年ほど前の事になると思いますが、東京には珍しい大雪が降った事があります。
私はその頃マンションの10階に住んでいたのですが、窓を開けると、ビルや家々の屋根から壁までが雪の白一色でした。
この時は遠くの空から地面まで、世の中の全てが真っ白の世界だったのです。
世の中の汚く醜いものを全て雪が覆い隠してしまったかのように見えました。
東京ではめったに見られない素晴らしい光景でした。
そんな時、私は用事があって駅に向かっていたのですが・・・
道を歩いていても、駅に着いて空を見上げてみても何処もかしこも白一色です。
ところが、ふと駅のホームから向こう側のホームの辺りを眺めた時に思わぬ物を発見しました。
一本の柿の木です。
真っ白な雪の世界に、ただ一色・・・柿の実が鮮やかに色彩を放っていたのです。
おやっ、世の中が全て白一色で覆われているのに、何故柿の実だけが・・・?
柿の実の表面がつるつるで、雪が積もっても直にすべり落ちてしまうのでしょうか・・・。
この時に気が付きました。
以前見た白い色紙に描かれた柿の絵の「白」というのは、白い雪を表現しているのではないだろうかと・・・。
この絵を描いた人は、「白一色の中の柿の色」に感動して描いたのではないか、と思った訳です。
・
・
もう一つ感動した事があります。
つい先日、テレビのニュース番組を見ていましたら、「梅とうぐいす」が映し出されていて、うぐいすが梅の花を盛んにくちばしで突付いていたのです。
私が以前見た光景と全く同じように「梅のピンク色とうぐいす色」の美しさでした。
これは10年くらい前の事になりますが、近所を歩いていましたら「うぐいす」の鳴き声がしたように思ってふと見上げますと、梅の木にうぐいすが停まっていたのです。
おおっ、これが「梅とうぐいす」と言うものか!
梅の花のピンク色とうぐいす色の美しさ・・・
「はっ」とする美しさです。
その時には、ほとんど奇跡的な出来事を見たように思われました。
「梅とうぐいす」といえば、花札や日本画の題材でもあるでしょうし、TVでうぐいすが梅の花を盛んに突付いている様子を見ましても、これには何か切っても切れない関係があるのではないかと思って、ネットの検索で調べてみたのです。
そうしたら、「うぐいす」だとばかり思っていた「うぐいす色の鳥」というのは、実はうぐいすではなくて、どうやら「めじろ」のようなのです。
色に関しては、めじろは綺麗な「うぐいす色」ですが、うぐいすの方は茶色っぽい色だそうです。
また、めじろは甘いものが好きで、梅の花の蜜を良く吸いに来るのですが、うぐいすの方は人目につかない藪の中が好きなので、梅の木にはあまり来ないそうなのです。
世の中で「梅」と言えば「うぐいす」と思い込んでいるのは、実は「ホーホケキョと藪の中で鳴いているうぐいすを、梅の木にいるめじろと勘違いした」という事らしいのです。
可笑しな話ですが・・・。
まあいずれにしろ日本人が昔から「花と鳥」、「ピンク色とうぐいす色」の組み合わせに感動した事は確かなようです。
今でも印象に残っているは、「雪と柿」です。
若い頃に、白い色紙に柿の実をを描いた日本画のような物を見た事がありましたが、私がその意味を理解したのは随分後になってからの事です。
今から20年ほど前の事になると思いますが、東京には珍しい大雪が降った事があります。
私はその頃マンションの10階に住んでいたのですが、窓を開けると、ビルや家々の屋根から壁までが雪の白一色でした。
この時は遠くの空から地面まで、世の中の全てが真っ白の世界だったのです。
世の中の汚く醜いものを全て雪が覆い隠してしまったかのように見えました。
東京ではめったに見られない素晴らしい光景でした。
そんな時、私は用事があって駅に向かっていたのですが・・・
道を歩いていても、駅に着いて空を見上げてみても何処もかしこも白一色です。
ところが、ふと駅のホームから向こう側のホームの辺りを眺めた時に思わぬ物を発見しました。
一本の柿の木です。
真っ白な雪の世界に、ただ一色・・・柿の実が鮮やかに色彩を放っていたのです。
おやっ、世の中が全て白一色で覆われているのに、何故柿の実だけが・・・?
柿の実の表面がつるつるで、雪が積もっても直にすべり落ちてしまうのでしょうか・・・。
この時に気が付きました。
以前見た白い色紙に描かれた柿の絵の「白」というのは、白い雪を表現しているのではないだろうかと・・・。
この絵を描いた人は、「白一色の中の柿の色」に感動して描いたのではないか、と思った訳です。
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もう一つ感動した事があります。
つい先日、テレビのニュース番組を見ていましたら、「梅とうぐいす」が映し出されていて、うぐいすが梅の花を盛んにくちばしで突付いていたのです。
私が以前見た光景と全く同じように「梅のピンク色とうぐいす色」の美しさでした。
これは10年くらい前の事になりますが、近所を歩いていましたら「うぐいす」の鳴き声がしたように思ってふと見上げますと、梅の木にうぐいすが停まっていたのです。
おおっ、これが「梅とうぐいす」と言うものか!
梅の花のピンク色とうぐいす色の美しさ・・・
「はっ」とする美しさです。
その時には、ほとんど奇跡的な出来事を見たように思われました。
「梅とうぐいす」といえば、花札や日本画の題材でもあるでしょうし、TVでうぐいすが梅の花を盛んに突付いている様子を見ましても、これには何か切っても切れない関係があるのではないかと思って、ネットの検索で調べてみたのです。
そうしたら、「うぐいす」だとばかり思っていた「うぐいす色の鳥」というのは、実はうぐいすではなくて、どうやら「めじろ」のようなのです。
色に関しては、めじろは綺麗な「うぐいす色」ですが、うぐいすの方は茶色っぽい色だそうです。
また、めじろは甘いものが好きで、梅の花の蜜を良く吸いに来るのですが、うぐいすの方は人目につかない藪の中が好きなので、梅の木にはあまり来ないそうなのです。
世の中で「梅」と言えば「うぐいす」と思い込んでいるのは、実は「ホーホケキョと藪の中で鳴いているうぐいすを、梅の木にいるめじろと勘違いした」という事らしいのです。
可笑しな話ですが・・・。
まあいずれにしろ日本人が昔から「花と鳥」、「ピンク色とうぐいす色」の組み合わせに感動した事は確かなようです。
どんなあくまりあっちがあらたんを蝕んだのかと
ワクワクしてきたの~。
まあ 冗談はさておいて。
雪の中の柿だなんてすごい配色ね。
以前墨絵を習っていた時に
和紙に渋い感じの柿を描く人たちに
混じって初心者の私はおもいきり鮮やかな
朱色を使って描いて先輩に
Kさんははっきりした色がすきなの?
って聞かれました。多分深みがないって
言いたかったのでしょうね。
まあ はっきりした色は好きなんですけど・・。
色のない冬の津軽で子供時代をすごした
からでしょうか。
あらたんの発見はとても新鮮だし
あらたんなら口ではわかってもらえない
あれやこれやをわかってもらえそうって
思っちゃうわ。
良い友達が出来ちゃった!うふふ
墨絵を習っている時に、柿を鮮やかな朱色にしたのですね?
良いじゃないですか~!
私も雪の中の柿を見た後だったら、やっぱり鮮やかな朱色にすると思います。
まりあっちさんは、自分独自の素直な表現を墨絵の方でもやっていたのですね。
あ、それから、末永くお友達でいられると思いますよ。
ご安心、ご安心。
鮮やかにあって個性的だな…と聴かせて戴きまして
想っておりました。
先日の小品の「真っ赤な血」でも感じられたのですが
何かフト一瞬、偶然に目にされた印象が深く
あらたんのインスピレーションを刺激して次々と
作曲されてゆかれるのではないかしら…と感じたのです。
いろいろな傾向に挑戦なさりたいのも頷けます。
何気ない風景なのに、誰もが感じられない何かを
あらたんはその瞬間に感じ取っておられるのだろうな…。
そんな風に今回のエッセイを読んで思いました。
素直に感動することって才能の一つなんですよね。
そうですね~、確かに・・・。
子供の頃には、何を見ても新鮮な驚きがあったように思います。
でも年を取るに従って段々と鈍感になって来るのではないかと心配になる事もあります。
世界の何処かで殺人事件や交通事故や災害があっても、「あ、またか・・・」という気になってしまいます。
八十を過ぎた母が言っていました。
「夕日を見た時に、まだ自分は美しいと感じる事が出来る。これが何にも感じなくなったら、もう私も終りね~」
やはり何時までも好奇心を持って、日々新たに、新鮮な気持ちで生きたいですね。