先日テレビを見ていましたら、ハリウッド映画でメイク・アップ・アーチストとして活躍している日本人が出ていました。
彼は初めは画家(芸術家)を志していたそうです。
アメリカでも、日本で言うところの「売れセン」と純粋な芸術家との区別をはっきりと分けて考えられていて、大衆に迎合するような作品を書くとかなり軽蔑されるのだそうです。
ところが実際には、純粋な芸術家であっても一般大衆に「売れるか売れないか」を考えて作品を創っている事が次第に分かって来たのだそうです。
そこで彼は独自の芸術観に目覚めて、
「どのような作品であっても、妥協しないで自分の創りたい物を創る人間が芸術家なのだ」と考えるようになったと言うのです。
これは「目からウロコ・・・」の中々面白い考え方です。
これを例えば音楽に置き換えてみると、非常に分かりやすくなります。
「クラシック音楽をやっているから芸術家なのではない」
「売れる売れないに関係なく、自分の創りたい作品を妥協しないで創っているのであればジャンルに関係なく、例えジャズであっても、フォークであっても、演歌であっても芸術家なのだ」
という事になるからです。
中々面白い話です。
日本で言うところの「頑固な職人気質」に近いかも知れませんが・・・
彼は初めは画家(芸術家)を志していたそうです。
アメリカでも、日本で言うところの「売れセン」と純粋な芸術家との区別をはっきりと分けて考えられていて、大衆に迎合するような作品を書くとかなり軽蔑されるのだそうです。
ところが実際には、純粋な芸術家であっても一般大衆に「売れるか売れないか」を考えて作品を創っている事が次第に分かって来たのだそうです。
そこで彼は独自の芸術観に目覚めて、
「どのような作品であっても、妥協しないで自分の創りたい物を創る人間が芸術家なのだ」と考えるようになったと言うのです。
これは「目からウロコ・・・」の中々面白い考え方です。
これを例えば音楽に置き換えてみると、非常に分かりやすくなります。
「クラシック音楽をやっているから芸術家なのではない」
「売れる売れないに関係なく、自分の創りたい作品を妥協しないで創っているのであればジャンルに関係なく、例えジャズであっても、フォークであっても、演歌であっても芸術家なのだ」
という事になるからです。
中々面白い話です。
日本で言うところの「頑固な職人気質」に近いかも知れませんが・・・
変わるべきところと変わらずにいるべきところのかねあいが芸術家の魂の選択ともいえますね。
ひとと違うという、そこを貫くことができるという、強いエネルギーをもったものこそが、芸術家といえるのかもしれませんね。
私にはこの人の考え方が、「普遍的」なものなのかどうかは分かりません。
でも、この人が「自分の生き方を発見した」という事が素晴らしいと思いました。