arata-tokyo-jp's blog(Henry Nagata)

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「いただきま~す」・・・は誰の為?

2005年02月25日 19時37分01秒 | エッセイ
どんな人であっても食事の時には、子供の頃から「いただきま~す」と言うように教育されていると思います。
家庭によっては、手を合わせて言う人たちもいるようです。

私は子供の頃には深くは考えなかったものですから、「いただきま~す」と言う「感謝」の気持ちの表現は、食事を作ってくれた母親に対して言うのかと思っていたのです。
何故なら食事の前には「頂きます」と言いますが、食後には「ごちそうさま」と言い、それに対して母親が「お粗末さま」と返事をするからです。

その後、「食事をする事に対する感謝」という事を考えた時に、父親が働いた給料で食品を買う訳ですから、父親に対しても「頂きます」と言わなければならないのかな、と思うようにもなって来ました。

また、何か良くは分かりませんが、神様や仏様に対しても感謝の気持ちから「頂きます」を言わなければならないのかな、とも考えるようになりました。
今、平和な気持ちで食べる事が出来るのは、神や仏やご先祖に守られているからではないか、という気持ちからです。

また次には、国によっては貧しい国があり、住む家も無ければ食事もろくに摂れない人たちもいる事を考えますと、平和な日本に住んでいる事に感謝したり、日本の政治の仕組みに対しても感謝しなければならないのかな、とも考えるようになりました。

こう考えて来ますと、「頂きます」という言葉の中には色々な意味が含まれているのだな、という事が分かって来た訳ですが・・・

そんな時です。
あるTV番組を見ていましたら、有名な霊能者が出ていて次のような事を言い出したのです。

「頂きますと言うのは・・・今自分が食べようとしている魚や動物たちに言うのです」
「感謝というのは・・・食べている植物や動物たちに感謝するのです」

なるほど、そうだったのか!
何故今まで、これに気が付かなかったのでしょうか。
私は、その時まで一番大切な事を忘れていた訳です。

うっかり間違えやすい事ですが・・・
栄養学の本などを読んでいますと、人間が生きて行く為には、三大栄養素であるタンパク質、脂肪、炭水化物を摂らなければならないけれども、それだけではダメで、その他にもミネラルとビタミンの五つを摂らなければならない・・・などと書いてあります。
しかし、私たちが食事の時に「頂いている物」というのは、単なるタンパク質や脂肪や炭水化物ではありません。
基本的に動物という生き物は「生きている動物」や「生きている植物」を食べなければ生きて行けません。
人間社会では、冷凍保存の技術なども発達していますから、死んでからある期間が過ぎた物であっても食べる事は出来ますが・・・

つまり一番大切な事は・・・分かりきった事ではありますけれども、人間が生きる為には、生きている物を殺して食べなければならないという事です。
という事になりますと「頂きます」と言うのは、単なるタンパク質や脂肪や炭水化物を頂いているのではなくて・・・
動物や植物の・・・「命を頂いている」・・・という事になる訳です。
「命」を頂かなければ、人間は生きては行けないのです。

宗教によっては、ある種の動物を食べない人たちや菜食主義の人たちなどもいる訳ですけれども、以前アメリカで菜食主義者の夫婦の子供が栄養失調か何かで、かなり具合が悪くなってしまったというニュースがありました。
こういう事を見ましても、やはり人間というのは動植物を食べ、動植物に感謝をしなければならないという事だと思います。

そんな訳で、子供の頃から食事の前に言っていた「頂きます」という言葉は、
「命を頂きます」・・・という意味だったのだ。
という考えに、行き着いた次第です。
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8 コメント

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確かに (eruze)
2005-02-25 22:26:40
命を頂きます。だったのですね。



「いただきます」はそういう意味だったのですね。

命は命でしか繋いで行けないのが現実。

百獣の王がライオン、でも人類が生物の頂点に

立ってしまった段階でライオンもその座を

降りなくてはならなくなりました。



かつてない貪欲な生き物が人間。

ヒトなんですものね。生き続ける為には他の動物・

生物の命を取り込まなくてはならない事実から

目を逸らしてはいけないなと改めて気付かされました。



感謝して「いただきます」をこれからは

云いたいなと思います。
返信する
そうですよね~! (あらたん)
2005-02-26 01:03:16
大自然の動物の事を考えると、弱肉強食の世界ですから、必ず自分を食おうと狙っている天敵というものがいる訳ですよ。

「百獣の王」と呼ばれているライオンでさえ、確か「ドール」という名前の動物に食われてしまうのです。

この場合、食われる方の動物が食う方の動物に対して、憎しみを抱いたりするものなのかどうか?

食う方だって、罪悪感を抱いたりはしないと思います。

大自然に於いては、食べるという行為は、のんびり、ゆったりとした行為ではなくて、食う方も食われる方も必死です。

弱い小動物が食われるのを見て可哀想に思うのは、人情として自然ではありますけれども、それが行き過ぎてしまうと、可笑しな事になりますね。

食に関して、人間は利己主義である、などとは考える必要はない訳です。

生き物を食べて、生き物に感謝をするというのが、健全だと思いますね。
返信する
感謝 (乃琶)
2005-02-26 22:52:49
あらたさん、いえ、あらたん(^_^)こんばんは。

生きているものへの感謝の気持ちで「いただきます」ということは、農作物を作っている、その命をはぐくんでいる人たちにも・・・ということでもあると私は考えています。

娘が幼稚園のとき、いつもお弁当の時間に「お父さん、お母さん、お百姓さん、今日もおいしいお弁当を作ってくれてありがとうございます。・・・・」と挨拶していたのを、思い出しました。

考えますと、食べ物というのはすべて生き物でもあると言えると想います。

お母さんの一人でもあります私は、大切な命の引受人でもあると言えますね。

食べる前に、調理をするときから「いただきます」は始まるのだな、と感じます。

返信する
お米の一粒まで (あらたん)
2005-02-27 03:37:11
乃琶さんに言われて思い出しましたよ。

子供の頃に、お米の一粒でも食べ残すと、母親から叱られたものです。

その時に「お百姓さん」という言葉が出て来ました。

「命を頂く」という事に気が付いてからは、白子などの小魚が茶碗にこびり付いていても、残さずに食べるようになりました。

一匹でも「無駄死に」させたくないと思うようになったからです。

そういえば、1月6日に乃琶さんのHPからメールをお送りしたのですけど、届いていますか?
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もったいない (乃琶)
2005-02-27 06:55:35
あらたん、おはようございます。

お米一粒、命をいただき調理をするものにとってはなおさら、尊いものです。



ところで、メール届いていません。^_^;

すみません、恐れ入ります。再度おくっていただけますでしょうか?申し訳ありません。m(__)m
返信する
メールを・・・ (あらたん)
2005-02-27 07:11:12
メールを再度お送りしました。

今度は届くかな?
返信する
やっぱり・・・ (乃琶)
2005-02-28 22:42:12
変ですねえ。やはり届いていないんです。

もしかしてメール送信フォームがおかしいのでは?と今テストしてみましたら正常に働きます。

恐れ入りますが、再度送信フォームよりお願いいたします。

(こちらからメールを、と思ったのですが、メールアドレスが貴サイト内に記載されていないようですので、こちらに書かせていただきました)

返信する
こんばんは (あらたん)
2005-02-28 22:58:45
あ、メール届いていなかったですか。

今、乃琶さんのBBSに書き込んで置きました。
返信する

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