私の父は皇宮警察に定年まで33年間勤めていましたが、今から45年くらい前には面白いことに、皇宮警察では運動会というものがあったのです。
私が幼かった頃の事ですので正確なものではありませんが、今日はこの頃の思い出をお話し致しましょう。
母が言うには「多分この運動会は皇居の中で行われたのではないか?」と言うのです。
なにしろ母の記憶も確かではありませんので、その点はご容赦願います。
その時は、やはり小学校などの運動会の時と同じ様に、運動場のトラックの周りには警察官の家族の人たちが、ぐるっと取り囲んで皆楽しそうに競技を見ていました。
ある種目では出場者が下着やステテコ姿で登場して一斉に走り出し、トラックの所々にズボン、上着、帽子、ピストルの付いたベルト、ネクタイなどが並べてあるのを次々に身に付けて、最後にはいつもの警察官の姿になってゴール・インという競技もありました。
これには家族の人たちも皆大笑いでした。
これからお話するのは、自転車競争の時の事です。
幼い頃の私は、この競技を今か今かと待ち望んでいたのです。
それは、この競技に父が出場する事が分かっていたからです。
「居並ぶ敵を蹴散らして、一番にゴール・インして欲しい!」というのが子供心というものです。
そして、やっとその競技が始まる準備が出来ました。
広い場内に数十台の自転車が横一列にズラ~ッと並びました。
胸がワクワクです。
そして競技が始まりました・・・。
一斉にスタート!
私は沢山の警察官の中から父の姿を見つけようとしました。
父は何処にいるのだろう・・・必死になって探しました。
ところが、案外早くその姿を見つける事が出来たのです。
私は目を疑いました。
驚いた事に、父がトップを走っているではありませんか!
スゴイ!・・・やった~!
私は喜びました。「こんな事ってあるのだろうか!」
子供心にも何やら父に対する「尊敬の念」が生じて来ているのが分かりました。
こういう時ぐらい子供にとって誇らしい事はありません。
父はそのままトップでゴール・イン!
ついにやったぞ~!
でも、待って下さいよ・・・。
父はトップを走っているのにも拘わらず、何故か堂々とした姿では走らずに、何かしら照れ臭そうにニタニタと薄ら笑いを浮かべながら走っていたのです。
私は幼かったので、その理由には全く気が付きませんでした。
後で聞いた話では、実はその競技は「自転車・遅乗り競争」だったのです。
昔は小学校でも運動会の時にはこの競技がありましたが、自転車同士が接触して怪我人が出た為に中止になったと記憶しています。
つまりこの競技は如何に遅く走るか・・・という競技で、皆ブレーキを何度も何度もかけながら安定姿勢を保ち、倒れないように走る・・・そしてバランスを崩して倒れたり足が地面に付いたら失格、という競技だったのです。
父が照れ臭そうに笑いながら走っていた理由がこれで分かりました。
今でもこの時の父の姿が目に浮かびます。
要するに父はトップではなくてビリッカスです。
父は「お人好し」で「バカ正直」な性格の人でしたから、この時もブレーキを使わずにそのままペダルをゆっくりと踏んで走っていたのです。
ですから、ビリになるに決まっています。
父に対し、この時くらい失望した事はありません。
父と私の「親子の断絶」はこの時から始まったのではないか・・・と長い間考えていたものです。
今ではそんな「お人好し」で「バカ正直」の父の気持が、何となくは分かるようになって来たのですが・・・。
私が幼かった頃の事ですので正確なものではありませんが、今日はこの頃の思い出をお話し致しましょう。
母が言うには「多分この運動会は皇居の中で行われたのではないか?」と言うのです。
なにしろ母の記憶も確かではありませんので、その点はご容赦願います。
その時は、やはり小学校などの運動会の時と同じ様に、運動場のトラックの周りには警察官の家族の人たちが、ぐるっと取り囲んで皆楽しそうに競技を見ていました。
ある種目では出場者が下着やステテコ姿で登場して一斉に走り出し、トラックの所々にズボン、上着、帽子、ピストルの付いたベルト、ネクタイなどが並べてあるのを次々に身に付けて、最後にはいつもの警察官の姿になってゴール・インという競技もありました。
これには家族の人たちも皆大笑いでした。
これからお話するのは、自転車競争の時の事です。
幼い頃の私は、この競技を今か今かと待ち望んでいたのです。
それは、この競技に父が出場する事が分かっていたからです。
「居並ぶ敵を蹴散らして、一番にゴール・インして欲しい!」というのが子供心というものです。
そして、やっとその競技が始まる準備が出来ました。
広い場内に数十台の自転車が横一列にズラ~ッと並びました。
胸がワクワクです。
そして競技が始まりました・・・。
一斉にスタート!
私は沢山の警察官の中から父の姿を見つけようとしました。
父は何処にいるのだろう・・・必死になって探しました。
ところが、案外早くその姿を見つける事が出来たのです。
私は目を疑いました。
驚いた事に、父がトップを走っているではありませんか!
スゴイ!・・・やった~!
私は喜びました。「こんな事ってあるのだろうか!」
子供心にも何やら父に対する「尊敬の念」が生じて来ているのが分かりました。
こういう時ぐらい子供にとって誇らしい事はありません。
父はそのままトップでゴール・イン!
ついにやったぞ~!
でも、待って下さいよ・・・。
父はトップを走っているのにも拘わらず、何故か堂々とした姿では走らずに、何かしら照れ臭そうにニタニタと薄ら笑いを浮かべながら走っていたのです。
私は幼かったので、その理由には全く気が付きませんでした。
後で聞いた話では、実はその競技は「自転車・遅乗り競争」だったのです。
昔は小学校でも運動会の時にはこの競技がありましたが、自転車同士が接触して怪我人が出た為に中止になったと記憶しています。
つまりこの競技は如何に遅く走るか・・・という競技で、皆ブレーキを何度も何度もかけながら安定姿勢を保ち、倒れないように走る・・・そしてバランスを崩して倒れたり足が地面に付いたら失格、という競技だったのです。
父が照れ臭そうに笑いながら走っていた理由がこれで分かりました。
今でもこの時の父の姿が目に浮かびます。
要するに父はトップではなくてビリッカスです。
父は「お人好し」で「バカ正直」な性格の人でしたから、この時もブレーキを使わずにそのままペダルをゆっくりと踏んで走っていたのです。
ですから、ビリになるに決まっています。
父に対し、この時くらい失望した事はありません。
父と私の「親子の断絶」はこの時から始まったのではないか・・・と長い間考えていたものです。
今ではそんな「お人好し」で「バカ正直」の父の気持が、何となくは分かるようになって来たのですが・・・。
わたしは自分でも素顔は馬鹿正直な
方で、いつも内心地味だなとか
野暮だなとかかっこ悪いなとか
思っているのですが、
反面そういう方をみつけると
気持ちが惹かれます。
安心するのでしょうね。
arataさんにもそういう正直な
真摯な面が垣間見られて
お父様の生き方お人柄を
内心尊敬されてるように感じます。
どうもありがとう。
理解されにくいお話かなと思っていたので、もう少し付け加えようと思っていましたけど、止めておきましょう。
私が父の性格を一つの個性として理解出来るまでには、何十年もかかりましたよ。