毎年夏になると、道端に蝉が死んでいるのをよく見かけますが・・・
今年の8月の事ですが、私の3階の部屋の窓を開けると、ベランダで蝉が転がって死んでいるのを見付けました。
普通の人でしたら、そのまま放って置くか、目障りだと感じる人でしたら捨ててしまうかのどちらかだと思います。
しかし、私はこういう時に何故か気になって、
何故私の部屋のベランダで死んでいたのだろうか?
何か訳でもあるのだろうか?
一種の「虫の知らせ」のように、私に何かを伝えようとしているのだろうか?
・・・などと考えてしまうのです。
蝉が道端で死のうが、私の近くで死のうが、どちらでも同じようなものなのですが、私には何故かそこにある種の「縁」のようなものを感じる事があるのです。
・
「虫の知らせ」という言葉はよく聞く言葉ですが、私が若い頃は「虫の知らせ」の「虫」というのは、「腹の虫?」のようなものではないかと考えていたのです。
ところが、水木しげる氏の本を読んでいる内に、蝶やトンボなどの昆虫に霊が乗り移って、人間に何かを知らせる事がある・・・という事を知りました。
私の経験では次のような事がありました。
以前私が広告代理店で、ディレクターのアシスタントとして働いていた時の事なのですが・・・
或る日、印刷屋さんの運転する車にディレクターと乗って、これから走り出そうとする時に、運転席の前のフロント・ガラスの外にトンボがとまっていたのです。
その時には何とも感じなかったのですが、エンジンがかかり車がかなり振動しても、そのトンボは飛んで行かなかったのです。
そのうちに車は走り出しましたが、そのトンボはフロント・ガラスにへばり付いたまま何故か逃げないのです。
その時、車を運転している印刷屋さんも何か不思議に思ったらしく、思わず窓から片手を伸ばして、そのトンボに触れようとしました。
しかし、それでもトンボは逃げようとはしなかったのです。
その後トンボは飛んで行きましたが、車が走り出してから10分くらいの間は、運転手の目の前にへばり付いたままでした。
手で触れようとすれば人間の気配を感じる筈ですし、車が走り出せば風を受ける筈ですから危険を感じて逃げるのが当然と思うのですが、それでも逃げないというのは不思議に思う訳です。
しかし、何故こんな些細な事を特に不思議に感じたのかと言いますと、この印刷屋さんのご兄弟が亡くなられたという知らせが入り、葬儀の為に田舎に帰らなければならない・・・というような話を聞いていたからなのです。
その他にも、部屋の中に蝶が入って来て手にとまろうとしたり、人間に対して危険を感じていない昆虫の様子などを見ますと、これは私に何かを伝えようとしているのではないかと思ってしまうのです。
ただ「虫の知らせ」とは言っても、悪い知らせばかりだとは考えてはいません。
私が忘れている「何か」を伝えようとしているように感じるだけなのです。
・
さて、話を元の蝉の話に戻しますが、この蝉は今どうなっているのかと言いますと、実は現在私のテーブルの上の小さなガラス瓶の中に入っているのです。
瓶の中には綿を敷いて、昆虫標本のようになっています。
針は刺してはいませんが・・・
もう一ヵ月半は経つのですが、昆虫というのは死んでも腐らないのでしょうか?
全く変化が見られません。
子供の頃はよく「トンボ採り」などをしましたが、もし標本にしたい時には注射器で防腐剤か何かの液体を注射して、昆虫標本を作るものだとばかり思っていたのです。
しかし、先日テレビを見ていましたら、どこかの大学で昆虫を専門に研究している教授が、
「標本を作るには、注射をする必要はない」と言っていたのです。
私はそれを聞いて驚きました。
「昆虫は死んでも腐らない」という意味ですから・・・
私はそれを聞いても半信半疑でしたが、その話が気になっていたものですから、折角のチャンスですから実験してみようと思い立った訳です。
ネットで検索などをして調べて見ましたが、標本を長持ちさせるには、
「空気に触れさせない事」
「虫に食われないようにする事」・・・などと書いてありました。
カブト虫などは、お湯で洗って形を整えてから標本にするようですが、やはり注射をするという事などは書いてありませんでした。
それでとりあえず、洋服ダンス用の防虫剤を蝉を入れたガラス瓶の中に入れて蓋をして置きました。
さて、この蝉の標本は何時まで今の状態を保ち続けているのでしょうか?
・
余談になるかも知れませんが・・・
つい最近の事ですが、実家から連絡があって、色々な事情から母親が何十年も住み慣れた家から立ち退きを要求されている事を知りました。
また母親が病院の検査で、レーザーで焼き切った筈の癌が、また発見された事を知りました。
もしかすると3回目の入院になるかもしれません。
特に「虫の知らせ」とは関係はないとは思いますが・・・
今年の8月の事ですが、私の3階の部屋の窓を開けると、ベランダで蝉が転がって死んでいるのを見付けました。
普通の人でしたら、そのまま放って置くか、目障りだと感じる人でしたら捨ててしまうかのどちらかだと思います。
しかし、私はこういう時に何故か気になって、
何故私の部屋のベランダで死んでいたのだろうか?
何か訳でもあるのだろうか?
一種の「虫の知らせ」のように、私に何かを伝えようとしているのだろうか?
・・・などと考えてしまうのです。
蝉が道端で死のうが、私の近くで死のうが、どちらでも同じようなものなのですが、私には何故かそこにある種の「縁」のようなものを感じる事があるのです。
・
「虫の知らせ」という言葉はよく聞く言葉ですが、私が若い頃は「虫の知らせ」の「虫」というのは、「腹の虫?」のようなものではないかと考えていたのです。
ところが、水木しげる氏の本を読んでいる内に、蝶やトンボなどの昆虫に霊が乗り移って、人間に何かを知らせる事がある・・・という事を知りました。
私の経験では次のような事がありました。
以前私が広告代理店で、ディレクターのアシスタントとして働いていた時の事なのですが・・・
或る日、印刷屋さんの運転する車にディレクターと乗って、これから走り出そうとする時に、運転席の前のフロント・ガラスの外にトンボがとまっていたのです。
その時には何とも感じなかったのですが、エンジンがかかり車がかなり振動しても、そのトンボは飛んで行かなかったのです。
そのうちに車は走り出しましたが、そのトンボはフロント・ガラスにへばり付いたまま何故か逃げないのです。
その時、車を運転している印刷屋さんも何か不思議に思ったらしく、思わず窓から片手を伸ばして、そのトンボに触れようとしました。
しかし、それでもトンボは逃げようとはしなかったのです。
その後トンボは飛んで行きましたが、車が走り出してから10分くらいの間は、運転手の目の前にへばり付いたままでした。
手で触れようとすれば人間の気配を感じる筈ですし、車が走り出せば風を受ける筈ですから危険を感じて逃げるのが当然と思うのですが、それでも逃げないというのは不思議に思う訳です。
しかし、何故こんな些細な事を特に不思議に感じたのかと言いますと、この印刷屋さんのご兄弟が亡くなられたという知らせが入り、葬儀の為に田舎に帰らなければならない・・・というような話を聞いていたからなのです。
その他にも、部屋の中に蝶が入って来て手にとまろうとしたり、人間に対して危険を感じていない昆虫の様子などを見ますと、これは私に何かを伝えようとしているのではないかと思ってしまうのです。
ただ「虫の知らせ」とは言っても、悪い知らせばかりだとは考えてはいません。
私が忘れている「何か」を伝えようとしているように感じるだけなのです。
・
さて、話を元の蝉の話に戻しますが、この蝉は今どうなっているのかと言いますと、実は現在私のテーブルの上の小さなガラス瓶の中に入っているのです。
瓶の中には綿を敷いて、昆虫標本のようになっています。
針は刺してはいませんが・・・
もう一ヵ月半は経つのですが、昆虫というのは死んでも腐らないのでしょうか?
全く変化が見られません。
子供の頃はよく「トンボ採り」などをしましたが、もし標本にしたい時には注射器で防腐剤か何かの液体を注射して、昆虫標本を作るものだとばかり思っていたのです。
しかし、先日テレビを見ていましたら、どこかの大学で昆虫を専門に研究している教授が、
「標本を作るには、注射をする必要はない」と言っていたのです。
私はそれを聞いて驚きました。
「昆虫は死んでも腐らない」という意味ですから・・・
私はそれを聞いても半信半疑でしたが、その話が気になっていたものですから、折角のチャンスですから実験してみようと思い立った訳です。
ネットで検索などをして調べて見ましたが、標本を長持ちさせるには、
「空気に触れさせない事」
「虫に食われないようにする事」・・・などと書いてありました。
カブト虫などは、お湯で洗って形を整えてから標本にするようですが、やはり注射をするという事などは書いてありませんでした。
それでとりあえず、洋服ダンス用の防虫剤を蝉を入れたガラス瓶の中に入れて蓋をして置きました。
さて、この蝉の標本は何時まで今の状態を保ち続けているのでしょうか?
・
余談になるかも知れませんが・・・
つい最近の事ですが、実家から連絡があって、色々な事情から母親が何十年も住み慣れた家から立ち退きを要求されている事を知りました。
また母親が病院の検査で、レーザーで焼き切った筈の癌が、また発見された事を知りました。
もしかすると3回目の入院になるかもしれません。
特に「虫の知らせ」とは関係はないとは思いますが・・・
皆日常の中で様々な体験をしているのでしょうが、その時々の因縁を細やかに考える人は少ないのでしょうね。
私は何があっても余り驚かない性格なのですが、なぜ今・これは何故・って思う出来事は、何かが見えるまで忘れる事はありません。
大変興味ある」お話でした。有り難う。
コメントをありがとうございます。
今そちらのサイトにも伺いましたが、
64歳で体年齢が40歳・・・ですか?
お若いですね~!
秘密は呼吸法かな?
私も若い頃に座禅をした事がありましたが、その時に腹式呼吸と、特に「吐く息」を意識する呼吸法をやっていた事を思い出しました。