前回の1部では 現在の大人の社会が 悪を容認する社会である事を確認した上で、そしてこの事が子供の社会にも影響を与えているのではないかと指摘しておきました。
ですから1部の結論は、「大人の社会に虐めが存在する以上 子供の社会に虐めがなくなる事は無いであろう」という事でした。
それでは実際に現在虐められている子供たちは一体どうすればよいのでしょうか。
守るすべはないのでしょうか。
教育はどのようにすればよいのでしょうか。
・
先ず私は「自然界に学ぶ」・・・という事からお話ししたいと思います。
その1・・・ピラニアの話
ピラニアについて検索で調べてみますと・・・
「歯のある魚」という意味で淡水魚であり、全長25~35センチ。
鋭い歯で知られるが、性質は極端に臆病であり狂暴さも無いので、熱帯魚として家庭で飼育する愛好者も出てきているとの事です。
しかし別の辞書で調べてみますと・・・
場合によっては 川を渡る牛や馬や人までも集団で襲いかかり、その肉を食いつくしてしまう事があると書いてあります。
つまり小さな体のピラニアが 川を渡る大きな動物たちの中から 体の弱っているものや一頭だけ離れているものなどを狙って大群で襲い掛かるわけです。
その2・・・蜜蜂とオオスズメバチの話
オオスズメバチというのは、お盆過ぎになると自分の子を養うために 蜜蜂の子や蜂蜜を狙ってくるそうです。
これも検索で調べてみますと・・・
スズメバチは蜂の中でも最も攻撃的で強い毒を持つ昆虫であるが、オオスズメバチはそれより遥かに大きく 小型の犬程もある。
獰猛な肉食の生き物であり、自分達と幼虫の空腹を満たすために 単独から少数で狩りを行う。
5センチくらいのものを見た人の話でも かなり恐ろしく感じるようです。
さて、このような大きくて獰猛なオオスズメバチが 小さな蜜蜂を襲ってくるわけですが、これに対して蜜蜂はどのような方法でこれに対処するのでしょうか。
オオスズメバチの体というのは大きいだけではなく、蜜蜂の針では役に立たないくらい堅いのだそうです。
先ず蜜蜂は、当然集団で戦わなければならないわけですが、その前に蜂蜜をたっぷり吸って体に貯めておくのだそうです。
それでなにかの合図で一斉に 一匹のオオスズメバチに襲い掛かります。
そして羽を震わせるのです。
そうすると、その振動と蜂蜜の影響もあって、熱が発生して50度まで上がってくるそうです。
オオスズメバチは この熱によって死んでしまうのだそうです。
その3・・・サルの話
詳しい事は忘れましたが・・・
サルという動物は普段はそれほど仲が良くないそうですが、大きな天敵が現れた時には集団になって戦い、そして危険が去るとまた元に戻って サル同士で喧嘩などをしていると聞いた事があります。
この3つの例で得られる事は・・・
先ず臆病で小さな弱い生き物は 大きな強い生き物に対して集団で戦うという事。
もう一つは 戦う相手の強い動物を単独にする事、孤立させる事です。
またどんなに強そうに見えても 必ず弱点があるという事です。
・
次に「歴史に学ぶ」・・・というお話です。
「ほんのうじの変」・・・これも検索で調べてみました。
織田信長は出兵準備の為に京都に逗留していましたが、秀吉への援軍を命じていた筈の明智光秀軍が突然現れて信長を攻撃しました。
その時に100人ほどの手勢しか率いていなかった信長は 自ら槍を持って戦いましたが、負傷した為に居間に戻って自害したといわれています。
破竹の勢いで天下を取ろうとした織田信長でしたが、孤立した隙を突かれて明智光秀に裏切られ敗れました。
どんなに恐ろしい人物であっても、例え殺しても死なないような人物ではあっても、孤立してしまえば集団には簡単に負けてしまうという事実です。
これは自然界の掟と変わらないわけです。
・
もう一つは私個人の経験談です。
それは私が小学校の低学年で、2人の兄が上級生か中学の一年生の頃の事だったと思います。
普段は男ばかりの3人兄弟ですから喧嘩もよくして、それほど仲の良い兄弟というわけではなかったのですが・・・
ある時 近くの神社で3人で遊んでいる時に、自転車に乗った不良少年のような高校生くらいの子が私に対して話しかけてきて虐めようとしました。
私は非常に恐怖感を感じました。
その子の目を見ると、確実に私を狙っている事が分かったからです。
その時に、二人の兄が直ぐに私をかばって その子との間に入って 盾になって私を守ってくれたのです。
兄たちにとってもその子は怖い存在だった筈なのです。
それは弟を守ろうとする 兄としての本能なのでしょうか。
それとも責任感や義務感なのでしょうか。
その子はしばらくの間私たち3人の周りを自転車でグルグルと回っていましたが、その内に諦めたのか捨て台詞を残して去って行きました。
この時くらい兄というものが頼もしいものだと感じた事はありません。
つまり普段は仲が悪くても良いのです。
危険な時にだけ団結すれば、弱い者たちみんなが助かるのです。
相手は1人でこちらは3人ではありますが、弱いものは先ず数の多さで勝たなければならないのです。
またその時には、不良少年が私たちの「兄弟愛」というものに心を動かされた可能性があるのです。
この「愛情のある集団」という事も非常に大切な事で、虐める側が攻撃しにくいものだと思います。
「愛情のある集団」という事で思い出しましたが・・・
現在の学校と先生と家庭の状況は一体どうなっているのでしょうか?
学校側は ジェンダーフリーなどと言って男女を同じにしてしまい、体育や水泳の時間の着替えを男女同じ部屋でさせています。
先生たちは 君が代斉唱や国旗掲揚に関して、自由を振りかざして好き勝ってな事をやっています。
また親たちは給食費を払わないという勝手な事を始めました。
つまり学校という一つの社会の中で、ルールなどは守らなくてもよいと子供たちに教えているようなものです。
そういう学校で育った子供たちの中には、自由を振りかざして「家庭の中でのルールや社会のルールも守らなくても良いのだ」と勘違いをしてしまう子供も出てくるのではないかと思います。
・
最後に教育についてのお話しをして終わりにしたいと思います。
世の中には、虐めというものは「虐める方が悪いのか」、「虐められる方に原因があるのか」、「見て見ぬふりをするのが悪いのか」、「学校や先生が悪いのか」、「社会が悪いのか」などという議論があるようですが、全く意味をなさない議論だと思います。
このように個人攻撃のような批判をし合うのではなく、みんなが一致団結する事が大切な事だと思います。
またボランティアなどで、虐めの撲滅を訴えて活動しているかたたちもおられますが、全国の学校や生徒の数に比べて、そのような活動はごく少数です。
1人でも助けたいという気持ちは尊いものではありますが、やはりそこには限界があると思います。
ここで私は、学校や先生のかたたちに「このような教育をして頂きたい」という提案をいくつか出してみたいと思います。
例えばここに、「1年3組」というクラスがあったとします。
もしこの教室の誰かが、他のクラスの子に虐めにあった時には、このクラス全員で助けて欲しいのです。
普段は仲が悪くても良いのです。
生徒の中には好きな子もいれば嫌いなタイプの子もいると思いますし、はっきりと仲の悪い子たちもいると思います。
しかし、もし虐めにあった時だけは みんなが団結して守って欲しいのです。
これは、ボランティアや先生や学校に頼る以前に、弱い生徒同士が「自分たちの力で自分たちを守る」という方法なのです。
ココが非常に重要なポイントなのです。
例えばこのクラスの中に、虐めをする子がいたとします。
しかし、もしその子が他のクラスの生徒や上級生の番町などに虐めにあった時には、この時にもこのクラスの生徒たちが集団になって守って欲しいのです。
普段は自分を虐める生徒に対してもです。
担任の先生というものは、そのクラスのどの生徒たちに対しても愛着があると思います。
それと同じように、そのクラスに対する愛情や友情を、生徒たちにも教えてあげて欲しいのです。
例えて言えば「自分のクラスへの愛」とでも呼べばよいのでしょうか。
これによって、1年3組の生徒は団結し、他のクラスの生徒たちからは虐められる事が少なくなってくるのではないかと思うのです。
では、もし子供たちだけの力だけではどうしようもない時にはどうすれば良いのでしょうか。
例えばナイフなどの凶器を持っている不良少年などが現れた時の事ですが・・・
こういう場合には 携帯電話で警察に連絡をするしかないのですが、この時に大切な事があります。
それは、警察といっても110番には電話をかけない事です。
何故かと言いますと、これは学校側が嫌がるからです。
マスコミに知られて騒がれる事は、誰にとっても嫌なものです。
ですから、110番ではなく、もよりの警察の電話番号を生徒たちに教えておくのがよいと思います。
これは、私が大学の警備員の仕事をしている時に得た話です。
「学校は生徒を守り、また生徒も親も 学校を守る」というような考え方になります。
・
もう一つの提案は・・・
ある学校では防犯の為に、防犯ブザーを子供たちに配っているのをよく見かけます。
しかし私は、防犯ブザーではなくて、笛に紐を付けて首にぶら下げてみてはどうかと思っているのです。
防犯ブザーの欠点というのは・・・
音量が一定である事。
電子音なので無表情である事。
電池がなくなったら使えない事。
うっかり間違えてブザーが鳴ったら止めにくい事。
ですからブザーを鳴らすのに慎重になってしまう事。
なにかが起きた時に 人間は一瞬パニック状態になりますから、声も出なくなるかもしれませんし 上手く使えるかどうかが分かりません。
笛の長所は・・・
ブザーの電子音よりも、危険を強く遠くまで感じさせる事が出来る事。
危険の度合いを音量で知らせる事が出来る事。
少し危険を感じた時には小さく吹いて犯罪を予防し、
また本当に危険を感じたら、思いきり強く笛を吹き鳴らして周りの人たちに伝える事が出来ます。
人間が直接吹くので、その時の表情が出る事。
「ピー」と一回だけ吹いたり、「ピー・ピ・ピ・ピー」などと、状況に合わせて変化や表情をつけられるという事です。
また笛をぶら下げているのを見れば、犯罪者も一瞬は躊躇するのではないでしょうか。
つまり犯罪の予防になります。
また、その笛の音を聞いた他の弱気の生徒たちも、同じように笛を吹き鳴らす事くらいなら出来ると思うのです。
最近では、デザインの良い笛も100円ほどで買えますから、これならば女性でも痴漢の多い満員電車の中や、夜道のひとりあるきの時などにも利用出来ると思います。
何故私が 防犯ブザーに対して疑問を感じているのかといいますと・・・
以前防犯ブザーを玄関のドアや窓などに6年間使っていた事があるのです。
しかし、この電子音をもし聞きつけても、近所の人たちは何も感じないのではないだろうかと思ったのです。
でもこれが笛の音であれば、緊急な危険を知らせることが出来るのではないだろうかと感じたからなのです。
これで私の提案を終わりに致しますが、この未熟な提案に対して ただ批判をするのではなく、これを叩き台として 国民のひとりひとりが自分の提案を出して欲しいのです。
ですから1部の結論は、「大人の社会に虐めが存在する以上 子供の社会に虐めがなくなる事は無いであろう」という事でした。
それでは実際に現在虐められている子供たちは一体どうすればよいのでしょうか。
守るすべはないのでしょうか。
教育はどのようにすればよいのでしょうか。
・
先ず私は「自然界に学ぶ」・・・という事からお話ししたいと思います。
その1・・・ピラニアの話
ピラニアについて検索で調べてみますと・・・
「歯のある魚」という意味で淡水魚であり、全長25~35センチ。
鋭い歯で知られるが、性質は極端に臆病であり狂暴さも無いので、熱帯魚として家庭で飼育する愛好者も出てきているとの事です。
しかし別の辞書で調べてみますと・・・
場合によっては 川を渡る牛や馬や人までも集団で襲いかかり、その肉を食いつくしてしまう事があると書いてあります。
つまり小さな体のピラニアが 川を渡る大きな動物たちの中から 体の弱っているものや一頭だけ離れているものなどを狙って大群で襲い掛かるわけです。
その2・・・蜜蜂とオオスズメバチの話
オオスズメバチというのは、お盆過ぎになると自分の子を養うために 蜜蜂の子や蜂蜜を狙ってくるそうです。
これも検索で調べてみますと・・・
スズメバチは蜂の中でも最も攻撃的で強い毒を持つ昆虫であるが、オオスズメバチはそれより遥かに大きく 小型の犬程もある。
獰猛な肉食の生き物であり、自分達と幼虫の空腹を満たすために 単独から少数で狩りを行う。
5センチくらいのものを見た人の話でも かなり恐ろしく感じるようです。
さて、このような大きくて獰猛なオオスズメバチが 小さな蜜蜂を襲ってくるわけですが、これに対して蜜蜂はどのような方法でこれに対処するのでしょうか。
オオスズメバチの体というのは大きいだけではなく、蜜蜂の針では役に立たないくらい堅いのだそうです。
先ず蜜蜂は、当然集団で戦わなければならないわけですが、その前に蜂蜜をたっぷり吸って体に貯めておくのだそうです。
それでなにかの合図で一斉に 一匹のオオスズメバチに襲い掛かります。
そして羽を震わせるのです。
そうすると、その振動と蜂蜜の影響もあって、熱が発生して50度まで上がってくるそうです。
オオスズメバチは この熱によって死んでしまうのだそうです。
その3・・・サルの話
詳しい事は忘れましたが・・・
サルという動物は普段はそれほど仲が良くないそうですが、大きな天敵が現れた時には集団になって戦い、そして危険が去るとまた元に戻って サル同士で喧嘩などをしていると聞いた事があります。
この3つの例で得られる事は・・・
先ず臆病で小さな弱い生き物は 大きな強い生き物に対して集団で戦うという事。
もう一つは 戦う相手の強い動物を単独にする事、孤立させる事です。
またどんなに強そうに見えても 必ず弱点があるという事です。
・
次に「歴史に学ぶ」・・・というお話です。
「ほんのうじの変」・・・これも検索で調べてみました。
織田信長は出兵準備の為に京都に逗留していましたが、秀吉への援軍を命じていた筈の明智光秀軍が突然現れて信長を攻撃しました。
その時に100人ほどの手勢しか率いていなかった信長は 自ら槍を持って戦いましたが、負傷した為に居間に戻って自害したといわれています。
破竹の勢いで天下を取ろうとした織田信長でしたが、孤立した隙を突かれて明智光秀に裏切られ敗れました。
どんなに恐ろしい人物であっても、例え殺しても死なないような人物ではあっても、孤立してしまえば集団には簡単に負けてしまうという事実です。
これは自然界の掟と変わらないわけです。
・
もう一つは私個人の経験談です。
それは私が小学校の低学年で、2人の兄が上級生か中学の一年生の頃の事だったと思います。
普段は男ばかりの3人兄弟ですから喧嘩もよくして、それほど仲の良い兄弟というわけではなかったのですが・・・
ある時 近くの神社で3人で遊んでいる時に、自転車に乗った不良少年のような高校生くらいの子が私に対して話しかけてきて虐めようとしました。
私は非常に恐怖感を感じました。
その子の目を見ると、確実に私を狙っている事が分かったからです。
その時に、二人の兄が直ぐに私をかばって その子との間に入って 盾になって私を守ってくれたのです。
兄たちにとってもその子は怖い存在だった筈なのです。
それは弟を守ろうとする 兄としての本能なのでしょうか。
それとも責任感や義務感なのでしょうか。
その子はしばらくの間私たち3人の周りを自転車でグルグルと回っていましたが、その内に諦めたのか捨て台詞を残して去って行きました。
この時くらい兄というものが頼もしいものだと感じた事はありません。
つまり普段は仲が悪くても良いのです。
危険な時にだけ団結すれば、弱い者たちみんなが助かるのです。
相手は1人でこちらは3人ではありますが、弱いものは先ず数の多さで勝たなければならないのです。
またその時には、不良少年が私たちの「兄弟愛」というものに心を動かされた可能性があるのです。
この「愛情のある集団」という事も非常に大切な事で、虐める側が攻撃しにくいものだと思います。
「愛情のある集団」という事で思い出しましたが・・・
現在の学校と先生と家庭の状況は一体どうなっているのでしょうか?
学校側は ジェンダーフリーなどと言って男女を同じにしてしまい、体育や水泳の時間の着替えを男女同じ部屋でさせています。
先生たちは 君が代斉唱や国旗掲揚に関して、自由を振りかざして好き勝ってな事をやっています。
また親たちは給食費を払わないという勝手な事を始めました。
つまり学校という一つの社会の中で、ルールなどは守らなくてもよいと子供たちに教えているようなものです。
そういう学校で育った子供たちの中には、自由を振りかざして「家庭の中でのルールや社会のルールも守らなくても良いのだ」と勘違いをしてしまう子供も出てくるのではないかと思います。
・
最後に教育についてのお話しをして終わりにしたいと思います。
世の中には、虐めというものは「虐める方が悪いのか」、「虐められる方に原因があるのか」、「見て見ぬふりをするのが悪いのか」、「学校や先生が悪いのか」、「社会が悪いのか」などという議論があるようですが、全く意味をなさない議論だと思います。
このように個人攻撃のような批判をし合うのではなく、みんなが一致団結する事が大切な事だと思います。
またボランティアなどで、虐めの撲滅を訴えて活動しているかたたちもおられますが、全国の学校や生徒の数に比べて、そのような活動はごく少数です。
1人でも助けたいという気持ちは尊いものではありますが、やはりそこには限界があると思います。
ここで私は、学校や先生のかたたちに「このような教育をして頂きたい」という提案をいくつか出してみたいと思います。
例えばここに、「1年3組」というクラスがあったとします。
もしこの教室の誰かが、他のクラスの子に虐めにあった時には、このクラス全員で助けて欲しいのです。
普段は仲が悪くても良いのです。
生徒の中には好きな子もいれば嫌いなタイプの子もいると思いますし、はっきりと仲の悪い子たちもいると思います。
しかし、もし虐めにあった時だけは みんなが団結して守って欲しいのです。
これは、ボランティアや先生や学校に頼る以前に、弱い生徒同士が「自分たちの力で自分たちを守る」という方法なのです。
ココが非常に重要なポイントなのです。
例えばこのクラスの中に、虐めをする子がいたとします。
しかし、もしその子が他のクラスの生徒や上級生の番町などに虐めにあった時には、この時にもこのクラスの生徒たちが集団になって守って欲しいのです。
普段は自分を虐める生徒に対してもです。
担任の先生というものは、そのクラスのどの生徒たちに対しても愛着があると思います。
それと同じように、そのクラスに対する愛情や友情を、生徒たちにも教えてあげて欲しいのです。
例えて言えば「自分のクラスへの愛」とでも呼べばよいのでしょうか。
これによって、1年3組の生徒は団結し、他のクラスの生徒たちからは虐められる事が少なくなってくるのではないかと思うのです。
では、もし子供たちだけの力だけではどうしようもない時にはどうすれば良いのでしょうか。
例えばナイフなどの凶器を持っている不良少年などが現れた時の事ですが・・・
こういう場合には 携帯電話で警察に連絡をするしかないのですが、この時に大切な事があります。
それは、警察といっても110番には電話をかけない事です。
何故かと言いますと、これは学校側が嫌がるからです。
マスコミに知られて騒がれる事は、誰にとっても嫌なものです。
ですから、110番ではなく、もよりの警察の電話番号を生徒たちに教えておくのがよいと思います。
これは、私が大学の警備員の仕事をしている時に得た話です。
「学校は生徒を守り、また生徒も親も 学校を守る」というような考え方になります。
・
もう一つの提案は・・・
ある学校では防犯の為に、防犯ブザーを子供たちに配っているのをよく見かけます。
しかし私は、防犯ブザーではなくて、笛に紐を付けて首にぶら下げてみてはどうかと思っているのです。
防犯ブザーの欠点というのは・・・
音量が一定である事。
電子音なので無表情である事。
電池がなくなったら使えない事。
うっかり間違えてブザーが鳴ったら止めにくい事。
ですからブザーを鳴らすのに慎重になってしまう事。
なにかが起きた時に 人間は一瞬パニック状態になりますから、声も出なくなるかもしれませんし 上手く使えるかどうかが分かりません。
笛の長所は・・・
ブザーの電子音よりも、危険を強く遠くまで感じさせる事が出来る事。
危険の度合いを音量で知らせる事が出来る事。
少し危険を感じた時には小さく吹いて犯罪を予防し、
また本当に危険を感じたら、思いきり強く笛を吹き鳴らして周りの人たちに伝える事が出来ます。
人間が直接吹くので、その時の表情が出る事。
「ピー」と一回だけ吹いたり、「ピー・ピ・ピ・ピー」などと、状況に合わせて変化や表情をつけられるという事です。
また笛をぶら下げているのを見れば、犯罪者も一瞬は躊躇するのではないでしょうか。
つまり犯罪の予防になります。
また、その笛の音を聞いた他の弱気の生徒たちも、同じように笛を吹き鳴らす事くらいなら出来ると思うのです。
最近では、デザインの良い笛も100円ほどで買えますから、これならば女性でも痴漢の多い満員電車の中や、夜道のひとりあるきの時などにも利用出来ると思います。
何故私が 防犯ブザーに対して疑問を感じているのかといいますと・・・
以前防犯ブザーを玄関のドアや窓などに6年間使っていた事があるのです。
しかし、この電子音をもし聞きつけても、近所の人たちは何も感じないのではないだろうかと思ったのです。
でもこれが笛の音であれば、緊急な危険を知らせることが出来るのではないだろうかと感じたからなのです。
これで私の提案を終わりに致しますが、この未熟な提案に対して ただ批判をするのではなく、これを叩き台として 国民のひとりひとりが自分の提案を出して欲しいのです。
いじめの問題は、子どもを持っていればどなたでも感心のある問題だと思います。
arataさんのおっしゃるように、子どもたちで団結することが必要ですね。それにプラスして、親が子どもの一番の味方になってあげることと、その信頼を築いておくということも必要かと思いました。
昔、私もいじめられていたのですが、放課後に校庭で泣いていると、なぜかそこに母が・・。いじめていた男の子をこっぴどく叱ってくれました。その後いじめてくることはなかったです。多分、様子を見ていた誰かが、母を呼びに行ってくれたのかもしれません。
親が口出しをしないような風潮もありますが、こんな時には、徹底的に子どもの味方になることも、必要だなぁと思います。とにかく、今、すぐにでもわが子を守らなくてはならないからです。
とても、考えさせられる記事でした。
不良少年を親がきつく叱るという事は非常に効果的な事で、私の兄が虐めにあった時にも、私の父親がその子の家まで飛んで行って、その子とその父親の2人が謝りに来た事がありました。
その子は兄に対して素直に謝りましたが、その時の表情は不良少年のイメージとは全く違って、良い子なのです。
つまりその子の長所を引き出す事が出来たという事になります。
しかし、最近では子供を叱る事が出来ない親たちも増えているのではないかと思えるところがあります。
今回のエッセイの要点は、子供が虐めにあった時に、助けてくれる親も先生もボランティアもいない時に「子供たちが自分たちの判断で解決をするような教育」という事を提案してみたのです。
「~君がランドセルを蹴飛ばした」、「~さんが、消しゴムを投げた」
そういう小さな出来事を、みんなで話し合うのです。
みんなで解決しよう、そういうことを日常行っていました。さて、数十年後の今は…
最近は、子供たちの問題だけでなく学校や先生や親たちが皆好き勝手な事をやっていて、一致団結をしていないように見受けられます。
学校はジェンダーフリーという事で男女を同じにしてしまい、体育や水泳の時間の着替えを男女同じ部屋でさせています。
先生たちは「君が代」斉唱や国旗掲揚に関して、自由を振りかざして好きな事をやっています。
また親たちは給食費を払わないという勝手な事を始めました。
つまり学校という一つの社会の中で、「ルールなどは守らなくても良い」と子供たちに教育をしているようなものです。
そういう教育で育った子供たちの中には、「家庭の中でのルールや社会でのルールも守らなくても良いのだ」と勘違いをしてしまう子供も出てくるのではないかと思います。
先行きが非常に不安になります。
虐め問題に対してもしっかりとした仲間意識を持って
クラスがまとまって、対応出来るようになればいいですね。
いい意味での集団のまとまりが出来て普段の生活でも
虐めなどに屈しない対応が出来るようになればいいですね。
それが、広がって行き虐めなどは、する事自体がむなしいものだと感じて減っていくといいですね。
学校や先生や親やボランティアの人たちに頼んでいるような余裕のない「緊急の時」には、弱い人たちが集団になって自分自身を守る事が大切だと思います。