これからのこと 実家の整理と『老前整理』して生き生き暮らす

母の介護を終えて、自分ひとりになった私の日常を書いていきます。
甘えたくなる自分を励ましながら、日々精進です。

友人のこと

2020-09-06 11:44:37 | 日記

まず、昨日は貯蓄型の保険に入った。貯金を頑張る。

そのあと友人のお勧めのレストラン兼カフェに行った。

このご時世、予約しないと入れないお店だったので、友人が予約を入れてくれていた。

考えてみたら、このところ、この友人とは毎週会っている。

最初は教会に連れて行ってもらい、クリスチャンでもないが、休みに出かけるということで、いつもならダラダラしていた休日の張りになった。

しかし、お盆に、コロナに感染した人の濃厚接触者の接触者が会社にいたので、教会は2週間行けないと思い私が勝手に自粛した。

2週間が解けた昨日、やっと友人と食事をしたのだ。

この友人とは、友人が小学4年生の時に転校してきてからの付き合いで、もう55年にもなる。

彼女は、親との関係や、結婚してからも家族のことで、大変な思いをし、病気になり、今も治療をしながら一生懸命に生きている。

私が東京に住んでいた時も、主人の実家に転居した時も、主人がこの世を去った後も、母の介護で私の実家に戻ってきたときも、すべて、悩みの相談や、お互いを励ましながら、生きてきた。

教会に連れて行ってもらったのも、今の私の気持ちを整えたいのもあるが、彼女が元気で頑張っているのは、教会があるおかげなのだろうと思い、そんな彼女の元気の素を垣間見たかったのも理由の一つにある。

なんせ私は、無宗教なのだ。

そして、今日は教会に行くことを遠慮した。

なぜなら、昨日の彼女といい、3回の教会の後の彼女は昔話ばかりを、ずーっと話していた。

親戚の集まりにも私は昔話ばかり言う親戚には辟易していやな気持になる。

それと同じ現象が起こる。

ずーっと、間を挟む暇もなくずーっと。昔のつらかった話をずーっと。

そんなこと聞きたくないし、それを言ったところで何か変わるのか?

いやな気持になるだけなのじゃないのか。

きっと、教会の仲間の人たちと礼拝の後で食事をしながら、なんやかんやおしゃべりをしているのだろうと予想ができる。

友人は、教会の人たちに助けてもらいながらここまで頑張ってきたのだろう。

話さなければ気が済まない何かがあるのだろうから、それだけ心の中の傷は深いのだろうから、形だけは聞いていて、相槌を打った。その話はほんとうにひどい話だった。

はた、

以前は私も同じことをしていたのかもしれない。友人を通して見せてくれている。

しかし、私は前に進もうとしている。昔話には興味がない。

だから、今は愚痴はない。なんせ一人なのだから、何も起こらない。

一人暮らしをさせてもらっているのは、私から、愚痴をなくすようになるためなのかもしれない。

心の中に感謝の気持ちがみなぎった。

 

今、外にトンボがいた。もう秋。

まだ暑いけど確実に秋は来ている。

さあ、明日は会社。

ありがたい。ありがたい。生きるってことは感謝。

友人にも感謝。

 

 

 

 

 

 

 


これからの人生

主人を亡くし、母の介護で実家に一人戻り、母も見送り、4人の子供たちは、独立し、何の心配もないかに見える私の人生。 乳がんになってしまい、手術をし、一人、たくましく生きようと奮闘しています。