めんどりおばあの庭

エッセイと花好きのおばあさんのたわ言

穴あき靴下

2015-02-01 20:25:59 | 日記
                              
                  
女性とストッキングが強くなった言われたのはいつ頃だったろうか。
  ウーマンリブ、女性解放、男女雇用均等法etc.
  私は就職の時に苦労した世代だ。

  東京オリンピックが開催された年に上京した。
  日本中が好景気で湧いていた時代だ。
  私の職場は水道橋にあり、新宿に良く寄り道をした物だ。
  新宿には三越、伊勢丹があった。
  大学を出たばかりの安月給。
  買う物と言ってもストッキングくらい。
  当時のストッキング、お値段が高い割にはすぐに伝染して閉口した。
  1カ所引っかけると、あっという間に下まで伝染
  とにかくデリケートで弱かった。
  それが、徐々に改良されて丈夫になった。
  今では女性もストッキングも強くなったものだ

  それに比べて靴下が弱くなったような気がする。
  高い、安いには関係ない。
  綿の靴下にしろ、アンゴラ入りの暖かい靴下もすぐに穴が開く。 
  穴の開く箇所は指ではなく、かかと、指の下側の膨らんだ部分
  靴や床と摩擦が多い部分である。
  ひょっとしたら歩き方に問題ありかも
  年老いてすり足気味なのかも。

  今まで穴が開くと、即、処分していた。
  また、同じ物を二足買ったり。
  しかし、両足同時に穴が開く場合が多い

  この冬は、すぐに処分しないで二枚重ね履きにしている
  穴あき靴下とそうでない靴下。
  暖かくて快適だ
  年を重ねると格好を気にしなくなるものだ、と、つくづく思う

  ただし、親方の穴あき靴下は、即、処分している。
  うっかり、穴あきを履いて外出しかねないので
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紅梅

2015-02-01 14:27:46 | 日記
                           
後藤健二さんの悲しいニュースを聞きました。
  外は冷たい風が吹いています。
  身を切られるような冷たさです。 
  心の中まで冷え込みます。

  大切な命が失われて
  
  後藤健二さんのご家族のお心を思うと
 
  言葉がでてまいりません

  先だった娘と重ね合わせてしまいます





               ご近所さんの紅梅が咲いていました

      母の魂梅に遊んで夜は還る
                      桂 信子

          作者は大正3年大阪生まれの俳人です
          上記の句は昭和49年「新緑」に所収
          老いた母堂を喪った折りの句
          遊魂という言葉が幻想的です

   夕闇の中に浮かぶ香りを放つ白梅は本当に幻想的です。
   梅の花が咲き始めると、この句を思い出します。
   私の母は二月に逝きました。

   この句が掲載された朝日新聞の切り抜きが、父の覚え書き帳に挟んでありました。
   大岡 信の 「折々の歌」です。
   切り抜きは茶色に変色しています。
   日付は分かりません。
   父が鬼籍に入って20年以上になりますから、この切り抜きはもっと前のでしょう。
   切り抜きの裏に宮沢政権の記事。
   
   大正2年生まれの父は若き頃、文学青年でした。
   山頭火が好きでした。
   俳句を詠み、句集を出しています。
   この切り抜きを偶然見つけた時、私は父の魂に触れたような気がしました。
   
   紅梅を観ると娘を想います。
   娘は桜が咲き終わってから逝きました。


  
   
   
   
    
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懐かしい映画

2015-02-01 00:00:00 | 日記
                                 
                   
雪が降った日、家に籠もって一日テレビ三昧でした。
  チャンネル権は炬燵に入ったきりの親方です
  なにしろ、テレビのリモコンを側から離しません。
  私が台所に立ち、居間に戻ってくるとチャンネルが変わっています
  目まぐるしいたらありません。 
  それなのに、テレビは視ずにうたた寝しています
  お気楽で幸せな親方 
  この一週間の病院騒ぎが嘘のようです。
  「 喉元過ぎれば熱さを忘れる 」 です。
  こんな穏やかな時間が続いてくれるといいですね

  夕飯の後、やっとチャンネル権が私に回ってきました。
  何気に回したBSチャンネル。  
  オオ、若き日のアラン・ドロン様が
  記憶にある映像。
  「太陽がいっぱい」でした。  
  残念ながら、終わりに近いシーンでした。
  1960年の映画です。
  この映画、高校生の時に、名古屋の中心街にあった名画座で友人と観ました。
  二本立てで50円でしたかしら?
  公立高校の1カ月授業料が550円という時代でした。
  二回続けて見ましたね。 
  
  アラン・ドロンさんは1935年生まれ、年を重ねても素敵ですね。

  父が、映画や観劇が好きでよく連れて行ってくれました。
  その影響でしょうか、映画好きになった私、たくさん映画を観ましたね
  恥ずかしながら、杉村春子さんのお芝居を観て、役者になりたいと思った事が
  あります
  夢見る乙女、二十歳の頃の事です。  
  
  上京してからもあちこちの映画館に名画を求めて彷徨いました。  
  岩波ホール、銀座のスカラ座、新宿駅近くのテアトル、武蔵野館など。
  現在、なくなってしまった映画館も多いです。
  幸い、住んでいる街の近くにシネマシティがありますので、シルバー割引で
  ちょくちょく観に行きます
  しかし、思いがけず、
  テレビの深夜放送で良い映画に巡り逢えた時は、とても幸せな気分になります
  
  
  
  
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