財部剣人の館『マーメイド クロニクルズ』「第一部」幻冬舎より出版中!「第二部」朝日出版社より刊行!

(旧:アヴァンの物語の館)ギリシア神話的世界観で人魚ナオミとヴァンパイアのマクミラが魔性たちと戦うファンタジー的SF小説

第一部 第3章−8 ナオミの名はナオミ

2019-08-30 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 

「信じられるか? ネイビー時代のドラッグの影響で頭がおかしくなったんだろうか?」

「信じるわ。あなたがこの何ヶ月かわたしに隠れてタトゥーショップに通いつめてたんじゃなければ」

「どういう意味だ?」

「鏡で背中を見てご覧なさい」

 ケネスが後ろの鏡を振り返ってみると背中一面に立ち上がって爪を今にも敵に伸ばそうとするマーライオンの勇姿が彫り込まれていた。

「おい、お前もオレと同じことを考えてるのか?」

 夏海はうなずいた。「忘れたの、わたしの実家?」

 動転して忘れていたが、夏海は日本でもめずらしい人魚を祭った湘南の比丘尼(びくに)神社の一人娘だった。得体のしれない海軍兵上がりに娘を奪われて逆上した父親とはずっと絶縁状態の二人だったが。

「こっちにいらっしゃい」

 夏海が赤ん坊を抱き上げると部屋全体が白い光に包まれて、気づいた時には尾ビレはなくなっていた。

「きっとこの子、すくすくりっぱに育つわ」夏海が言った。

「何でそんなことがわかるんだ?」

「今日は九月四日よ、お誕生日がくいしんぼじゃない」

 日本語が完璧でないケネスはポカンとしていたが、夏海がジョークを言ったことだけはわかった。

 こうして二人はマーメイドの赤ん坊を育てることにした。彼女の見せた母性にホッとすると共に自分自身の隠れた父性にも驚くケネスだった。

 二人は赤ん坊にナオミと名前を付けた。名付け本によると「ナオミ」とは、旧約聖書に出てくるルースの姑で「感じのよい人(the pleasant one)」の意味だった。

 

     

 

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第一部 第3章−7 マーメイドの赤ん坊

2019-08-26 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 

 ケネスが呆然としたのも、不思議はない。

 赤ん坊には尾ビレがあったのだ。海軍暮らしの長かったケネスは海の伝説には一通りの知識があった。海の支配者ネプチュヌス、半身半魚の海の王子トリトン、妖精ニンフネレイアデス、海の怪物クラーケン。

 だが何といっても、「海の男」なら一度会ってみたいと望むのはマーメイド。

 それも漁や航海に命を懸ける男たちの海への畏れと陸への郷愁が生み出した幻にすぎないはずだった。ただし、今日までは。

 気を取り直すと、毎朝この海岸線をジョギングすることを知っている悪友たちのプラクティカル・ジョークではないかと疑った。だが、赤ん坊はつくりものにしては出来が良過ぎるし本物にしては現実味がなさ過ぎた。

 尾ビレに触るとザラザラした感触がする。色は見事な茜色で上半身は赤ん坊特有にぷよぷよとしていたが、下半身はぬるぬるした鱗に覆われていた。

 ケネスは尾ビレに触ったり軽く引っ張ったりしていた。

 どうしたもんか。

 その時、赤ん坊が目を覚まして自分を見つめているのに気づいた。何かを訴える眼差しだ。しかし、訴えることなどあるはずがないと思った。赤ん坊はまだ話す術を知らず、もしも知っていたとしても語るべき言葉を持たなかったはずだ。

 だが、もしも話すことができたならば、人間界に一人きりのマーメイドだという心細さと同時に、いよいよ祖母に聞いた世界に入っていく期待で胸がいっぱいよと伝えたかった。
 彼は考えた後、ままよと赤ん坊を連れて帰ることにした。

 

「今日はずいぶん早いね」

 朝食の支度をしていた夏海が言った。

 日本人にしては大柄な肢体に、揺れる海草のような黒髪と、それとは対照的に色白な顔が乗っかっている。目標に向かってひたむきにがんばる者だけが持つオーラが漂っていた。今日は椰子の実が描かれたアロハを着ている。

「これを見てみろ」

「まあ・・・・・・」

 それっきり夏海はたっぷり五分間は口がきけなかった。

「なんてかわいい。この赤ちゃん竜延香の匂いがするわ。でも、マーメイドなんてどこで拾ってきたの?」自分のセリフがおかしくてクスッと笑う。

 ケネスはやけに冷静な夏海の様子を不思議に思いながら、今思い起こしても信じられない朝の出来事を説明した。

 

     

 

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第一部 第3章−6 ネプチュヌス

2019-08-23 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 

 ネプチュヌスの声が心に直接語りかけてきた。

(そのとおり、儂がネプチュヌスじゃ。ケネス、お主のことなら遠い先祖まで知っておるぞ。今日は頼みがある。ナオミを旅立つ日まで育ててくれ)

  ケネスには理解出来なかった。

  何なんだ、この親爺? 

  このシチュエーションはまるで異次元世界に迷い込んだアリスだが、出来の悪いファンタジーならゴメンだぜ。ファンタジーはあくまで「仮初め(かりそめ)の世界で遊んだら、最後は現実世界に帰っていく」のがお約束だろう。ファンタジーの方が現実世界に入り込むのは反則ってもんだろうが?

(お主、死に場所を求めておったのであろうが?)

  ネプチュヌスの思念が、高波のようにケネスの頭の中で砕け散る。

  死に場所か? 

  言われて見れば、海軍で特殊工作任務についていた二年間でこれまでどれだけの命を殺めたことか。直接倒した相手のみならず、爆薬を仕掛けたりスナイプしたりした相手まで加えると数十人、いや百人を越えるかも知れない命を奪ってきた。

「俺の望みがわかると言うのか。答えをくれると言うのか」

  次の一瞬にも自分の命が失われるかも知れない。なぜ憎んでもいない相手を殺さなければならないのか。そんな不安と疑問をまぎらわすため戦場ではほとんどの兵士がドラッグを使用する。ベッドに身を横たえるとふとしたきっかけで遠い記憶がフラッシュバックして、まんじりとも出来ない夜を過ごす。

(夢を叶えてやるぞ。「守るべきもの」を与えてやろう。さすればお主はもはや殺人機械ではない。だが、はたしてその運命がお主の期待通りかどうかは儂も知らぬ)

  唖然とするケネスの胸にネプチュヌスの人差し指がめり込んでゆく。

  ケネスは悪夢の中にいるようになすがままだった。しかし、不思議と恐怖心はなかった。

  次に感じたのは背中に熱い灼きごてを当てられたようなするどい痛み。

  指が完全に入ると全身がエネルギーに満ちあふれるようだった。まるでアフリカの大地を走る獣になるような、海をどこまでも進んでいくイルカになるような。最後に感じたのは目がつぶれるかと思うほどの閃光。

  ケネスは、ナオミが目覚める日まで頼む、さらばじゃ、というネプチュヌスの声を頭の中で聞いた。

  気がつくと入道雲は消え去って太陽が照りだしていた。ケネスのスエットスーツはボロボロに裂け上半身裸になっている。海主ネプチュヌスと眷属の姿は跡形もなく消え失せていた。

  夢か? 

  だが夢ではない証拠に何かが海に浮かんでいる。

  物体はぼんやりした白い光を放っている。海に入ってみるとクリフ代わりの巨大な真珠貝の中にまだ生後間もないと思われる赤ん坊が眠っていた。

  赤ん坊? 

  この浜にはたまにイルカやイグアナの迷い子が流れ着くことはあるが・・・・・・

「なんてこった!」

 

 

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第一部 第3章−5 海主現る

2019-08-19 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 

 一九七三年九月四日。

 ハワイ島最南端カ・ラエ岬の北ナアレスの町からはあきれるほど澄みきった海が見えていた。昨夜、五十数年ぶりという季節はずれの大型ハリケーンが過ぎ去った波打ち際には椰子の葉や海草や木ぎれ、どこから流れ着いたのかアイリッシュ・ウイスキーの空き瓶が散乱している。

 朝日が顔を出し始めた海岸線をランニングシューズとすり切れたスエットスーツに身を包んで一人の男が黙々とジョギングしていく。シナモンドーナツのように盛り上がった筋肉と張りつめた雰囲気はタイトルマッチを控えたボクサーにも見えるが、フードに隠れて表情までははっきりしない。

 彼の名はケネス・J・アプリオール。

 十九歳でベトナム戦争に従軍後、名誉除隊をして今では補助役についている。

 父親が母の胎内にいる内に飲酒運転で死んだため年収1万ドル以下という極貧家庭で少年時代を過ごした。もっともろくでなしが生きていたとしても状況が改善していたとは考えにくいが。

 母マリアに負担をかけたくないためケネスはロサンゼルスのハイスクールを卒業後、海軍に入ったが任務の名残で右肩胛骨と左膝のおさらには代替プラスチックが入っている。

 元来、社交性に欠けるところがあったが軍事訓練を経験してからはますます人付き合いがますます苦手になったようだ。二年前にハワイにやってきてからは巡回プロダイバーとして生計を立てていた。

 昨日は昔を想い出し眠れぬ夜を過ごしたが朝の日課が変わることはない。彼は一人きりになれるこの時間帯が好きだったし、ジョギングの度に船乗りだった祖父から聞いた言葉を思い出した。

 

 「海は一日7回、その色を変える」

 明けの黄金色に輝く海は海洋神ネプチュヌスの支配の始まりの刻

 真っ青な昼の海は太陽神アポロンが空を駆けめぐる刻

 波しぶきに輝く白色の海は天かける最高神ユピテルの輝きの刻

 夕焼けに映える真紅の海は軍神ベローナの勝利の雄叫びの刻

 月の光に映える灰銀色の海は無慈悲な月の女神アルテミスの涙の刻

 漆黒の闇を写す黒色の海は冥王プルートゥの支配の始まり

 そして、何ものにも汚されていない

 半透明な緑色の海にだけマーメイドは姿を見せる

 

 おや、何か浮かんでいるぞ、と気づいた時だ。

 何かが破裂したような音を立てて竜巻が数メートルも立ち上がると、あたかも意志を持っているかのようにケネスの方に近寄ってきた。さっきまで見えていた太陽がたちまちのうちに消えて巨大な入道雲が湧き上がった。

 ケネスの交感神経がとぎすまされ鳥肌立つ。

 叫び声が上がって上半身は馬、下半身は魚という海馬が顔をのぞかせる。その背上で緑色の衣をまとい真珠の冠をかぶった海主ネプチュヌスがたてがみをなびかせていた。背後には鎧甲に身を固めたマーライオンを従えている。

 まさか、とケネスが思った瞬間。

 

     

 

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第一部 第3章−4 マクミラの旅立ち

2019-08-16 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 (さあ、家族との最後の別れを惜しむがよい)

(父上、母上、お世話になりました)マクミラが、両親と妹に顔を向けた。 

(名誉なことよ。マーメイドの小娘ごときの後塵を拝するなど神官に限ってありえまいが、がんばるのじゃ。プルートゥ様のご加護がありますように)ローラが応じた。

 ドラクールは、視線だけを合わせる。

 ミスティラはマクミラと長く仕事をしてきただけに別れに感慨無量だった。マクミラがなにかを投げてよこす。ミスティラが受け取ると一族の紋章コウモリの形をした宝物殿の鍵だった。

 宝物殿は人間たちの執着が渦巻き並の魔力では押さえられない。過去に扉が誤って開いた時のことは人間界にも「パンドラの筺」伝説として知られている。

(ミスティラよ、ついに「鍵を守るもの」になるときが来たな。今後はお主が持つがよい)

(神官様・・・・・・)

(そう心配そうな顔をするな。盲目の我に知れるほどに不安をさらしていては先が思いやられるぞ)

(神官様がマーメイドに率いられたものたちと戦う姿が見えますが、結末が見えませぬ)

 マクミラは微笑んで伝えた。(お主の予知にたよるほどまだ落ちぶれてはおらぬ。お主は心眼でものを見ぬからいつまでたっても真の姿が見えぬ。表に見えるものなどはすべてまやかし。心眼を開かなければ神官職を務めあげることなど生涯かなわぬぞ)

(フフ、お主のアカシックレコードを垣間見たノストラダムスと申すものは人間界最大の予言者と呼ばれているそうだが)プルートゥが伝えた。

(お名残惜しゅうございます、プルートゥ様のご加護がありますように)ミスティラが思念を送る。

(よかろう、皆のもの準備はよいか? だが、三匹にはケルベロスとの最後の別れを許すわけにいかぬ。ケルベロスは冥界の門番じゃ、呼びつけられぬ)プルートゥが思念を伝える。

(ご心配は無用かと)

 マクミラが三匹へ思念を送ると、子犬たちから雄叫びが上がる。

 アォーーン!

 息子たちの雄叫びを聞いてケルベロスの三番目の首の目が見開く。

 ガォーーン!

 ケルベロスの雄叫びは旅立つ子らへの祝福か、はたまた別れゆく子らへの哀悼の叫びか。絞り出された雄叫びは永久に続くと感じられるほど冥界中にこだました。

(それでは、用意はよいな?)

 彼らがうなずく。

 精神界の支配者には海主がナオミを送り込むのに使ったカプセルなど必要なかった。彼が巨大な魔力の象徴である宇宙の輪廻の蛇二匹がからみつく杖を差し上げると、生木を裂く音と共にたちまち時空間の切れ目が生じる。

 マクミラは三匹の獣たちと裂け目に引き込まれていく途中で、よいか神の最後の審判は絶対じゃ、というプルートゥの思念を感じたような気がした。

      

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第一部 第3章−3 マクミラ降臨

2019-08-12 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 次兄スカルラーベの思念でマクミラは我に返った。
(プルートゥ様、恐れながらわたくしめにも一暴れする機会をお与えください。マクミラ一人に大役をお任せになるとはあまりの仕打ちではございませぬか)
(今回は人間共が墓穴を掘る手助けじゃ。お主まで行っては果てしない闘いが始まってしまうわ)とプルートゥは素っ気ない。
 しかし、マクミラだけが送り込まれるのにはアストロラーベも納得いかないようだった。あからさまに申し立てこそしないが、その顔色から不満は明らかであった。
(アストロラーベまでそんな顔をするものではない。日の当たる道ばかりを歩いてきたマクミラだからこそ未来の読めぬ世界でどう生きていくかを見てみたくなったのじゃ。それに今回の任務はマクミラでなければつとまらぬ)
(マクミラでなければ・・・・・・でございますか?)アストロラーベが伝えた。
(アポロノミカン、あの神導書は危険すぎる。魔女ゴーゴンの眼を見るごとく、お主に「見る」ことがかなう限りその危険からは逃れられはせぬ。だが、マクミラならその心配はない)
 アストロラーベとスカルラーベが、顔を見合わせる。
(プルートゥ様、生まれ落ちた日より盲目のわたくしには目の見えるよさなど想像もつきませぬが、もし兄たちも人間界に行ったならばすぐに汚れ果てた世界では何も見えぬ方が幸いと知ることでしょう)マクミラが思念を伝えた。
ふと、気がつくとマクミラの足下にまとわりつく三匹の獣がいた。
 ケルベロスの息子たちで、「守護するもの」キルベロス、カルベロス、ルルベロスだった。すすり泣くような声を出してマクミラから離れようとしない。
(プルートゥ様、恐れながらお願いがございます)
(人間界には盲導犬とか申すものがあるそうじゃ。連れて行くがよい)
(ありがたき幸せに存じます)
(そうとばかりも言ってはおられぬぞ。今後、お主の能力はめったなことでは使えなくなる。悪意あふれる人間界では不自由なことも多いであろう)
 三匹はマクミラと離れずにいられると知ってはしゃいでいる。生まれたての頃から育てた三匹は親兄弟にさえ心を開かなかった彼女の真の友たちであった。
(スカルラーベと共に火劇を舞って神官への惜別のご挨拶とさせていただきとうございますが、お許しいただけますか?)アストロラーベが思念を伝える。
(もちろんじゃ。スカルラーベもよいか?)
(お言葉を待っておりました)
 アストロラーベが漆黒のマントを脱ぐと青い羽が左右にゆっくり広がる。左右の手に握られた半透明の剣が、宙を切り裂くと青い炎が次々と生まれる。生命を持ったかのような炎は獲物を求める三つ首青色ドラゴンになった。
 次にスカルラーベが白いマントを脱ぐと真っ黒な羽がゆっくり広がった。背負っていた大鎌を振ると白い炎が次々生まれた。鎌を一閃する度に炎の数がふえて、やがてひとつの巨大な炎になりすべてを焼き尽くそうとする三つ首白色ドラゴンになった。
 サラマンダーの血の薄いマクミラに出せる炎は摂氏三千度の熱と言われる。それに対して、サラマンダーの血が濃いアストロラーベの炎が六千度、性格が母親そっくりなスカルラーベの炎は九千度から時に一万度さえ超える。
 右の炎にアストロラーベが立ち上ると舞を踊りだした。次に、左の炎に飛び乗ったスカルラーベが鎌を振り回す。青色ドラゴンと白色ドラゴンと絡み合う美しさは、見るものに瞬時、これが別れの場面であることを忘れさせた。

     

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第一部 第3章−2 仮面の男

2019-08-09 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 緑色の霧が城内を包み、兵士たちがバタバタと倒れていく中を、ゆうゆうと歩いていく一人の怪人がいた。
 カツカツと靴音をさせて石段を降りて行って地下牢の前で立ち止まると、ヴラドの顔を見つめた。眠ることもなく待っていたヴラドが声をかける。
「今日は金色の仮面か?」
 怪人は二〜三日続けて訊ねてくるかと思えば十日以上も姿を見せないこともあったが、訪問はここ数ヶ月にもわたっていた。
 訪問が不定期でも、いつも決まって不思議な紋様の仮面をつけていた。ある時は南ドイツのペルヒト、またある時はスイスのクロイセ、そして最後の訪問となったその日はイタリアのヴェニス謝肉祭の仮面らしきものをつけていた。
「ヴラドよ。お前のところに来るのも今宵が最後となろう。どうやら儂のことが噂になりすぎたようだ」
「パラケルススよ。与えてくれたさまざまな知識には感謝している。だがお前が持つ力の源泉についてはまだ聞かせてもらっていなかったな」
 パラケルススと呼ばれたこの男が十六世紀ヨーロッパ史上最大の錬金術師と同一人物だとするなら、それはあり得ない。彼は一四九三年に生まれ一五四一年に死んだことになっている。一四四五年では、まだパラケルススが誕生する五十年近くも前である。
「聞きたいか? 置きみやげにあの話をしてやるのもよいかも知れぬ。儂が時を越えてさまざまな国を旅する力を得た秘密を」
「お前は半世紀も後の世界から来たと言う。そんなことが本当に出来るものなのか」
「神導書アポロノミカンのおかげじゃ」
「アポロノミカン?」
「賢者の石を求めて世界をさすらっていた儂の運命は、神導書を見て以来すっかり変わってしまった。お前たち人間が使える脳の力など一割にも満たない。だがアポロノミカンは人と神を隔てる敷居をはずしてしまう。アポロノミカンを見た者は禁断の知識が解放されてもはや人とは呼べぬ存在になってしまう。それがどのような変身か一人一人違うし、ほとんどは圧倒的な開放された力を受けとめきれずに発狂してしまう。儂はそれ以来、『時を翔るもの』となって時空間を越えて旅を続けておる」
「我もその神導書を見ることは出来るのか?」
「出来る。なぜなら、儂がアポロノミカンを持っているからだ」
「見たい。アポロノミカン。その名には我が心を捕らえて離さぬ何かがある。お主が今まで物語を語って聞かせたのも今宵のためではなかったのか?」
「よかろう。望むなら不死の肉体と不屈の精神をあたえようではないか。だが、ひとつだけ聞いておく。お前に人間以外のものになる覚悟はあるか? たとえ、それが自分自身を不幸に導くことになっても?」
「もちろんだ。叶うことなら不思議な力を手に入れて、いつ日かトルコ軍を倒し我が民に安定をもたらしたいのだ」
「力は手に入るかもしれぬ。だが、民に安定をもたらしさえすれば君主が幸せかどうかなどは知らぬし、民が不幸せだから君主も不幸せとも限らぬ。歴史上、民を苦しめ続けた暴君が自分は不幸だったと嘆いたなどという例を聞いたことなどはないであろう?」
「我が民に安定をもたらせるなら我が身が地獄に堕ちようと悔いはないわ。後世の人々に魔王呼ばわりされようとも。父のように敵方から悪魔と呼ばれることこそ君主にとって最高の栄誉ではないか」
「今、地獄に堕ちようともと言ったか?」
「言ったがどうした?」
「見せてやろうではないか、アポロノミカン!」
 パラケルススは懐から一冊の本を取りだしてゆっくりと開いた。その瞬間、ヴラドの頭の中のプロテクターが音を立てて崩れ神導書が膨大なメッセージを語りかけてきた。

     

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第一部 第3章−1 ドラクールの目覚め

2019-08-05 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 古代からさまざまな民族が入り込んできた東欧南部に位置するバルカン半島。
 カトリック文化圏の中央ヨーロッパ、ギリシア正教圏の東ローマ帝国、イスラム圏のオスマン・トルコ帝国の三勢力が、十五世紀にぶつかり合っていた。
 ここは覇権を争う勢力側から見れば戦略上の重要拠点。同時に、侵略者から見れば喉元から手が出るほど確保したい通り道であった。
 だが、狙われる側の住民たちから見ればつかの間の安息の時さえない「この世の地獄」だった。民族や国境を越えて人を救うべき宗教が、現世に苦しみを生みだすことに一役買うとはまさに歴史の皮肉であった。
 暴虐の限りを尽くし、悪魔公と呼ばれたヴラド二世ドラクールは、一四三一年、東ローマ帝国から爵位を受けトランシルバニアのワラキア地方の正式な支配者になった。同年、彼の長男として生まれたヴラド・ツェペシュは一三歳から一七歳までの五年間、後に美男公と呼ばれるようになる弟ラドウ三世と共にトルコ軍に人質として幽閉されて過ごした。
 その間に、その後の彼の人生を決定する出会いを経験した。
 人質となって二年目の一四四五年二月のある日。
 牢番の兵士が、気安く声をかける。
「坊主。腹は減ってないか?」
「己のような下級兵士に坊主呼ばわりされる憶えはないわ」
 気丈に答えた彼であったが、育ち盛りの身体は昼に出されたパンと水だけでは腹の皮が背中にくっついてしまいそうだった。
 人のよさそうな牢番が言った。
「そう言うな、王子よ。かかあの作った菓子だが、話の種に食ってみぬか?」
「そこまで言うなら味見をしてやってもいいぞ」
「おお。いつかお主がワラキアに帰った時、トルコの農婦はうまい菓子を作ると伝えてくれよ」 
「まずは食ってからじゃ」
 思わずうまいと言いそうになったヴラドだが、まあまあいけるな、と憎まれ口をたたく。トルコ軍のイスラム化教育や武芸の稽古には反感がつのるだけだったが、牢番の親切を受けていると将来この国と一戦交えた時に非情に徹して戦えぬのではないかとつい心配してしまう。
 だが病弱な兄ミルチャが頼りにならない以上、いざという時には先頭に立って民のために戦わねばならぬと考えるヴラドであった。一口菓子を食べると腹が減っているにもかかわらず、弟のラドウにお前が食べろと渡してしまう。
 牢番は、このプライドの高いワシ鼻に分厚い唇をした若者と恥じらいを持った少女のような美しい顔立ちの弟に同情の念を禁じ得なかった。実は、彼にも同年輩の息子がいたが一年前に病気で亡くしていた。
   本来ならこの王子たちも家来にかしずかれているか恋に夢中になっているはずがと思う。しかし、日に日にふさぎ込んでいく弟と比べて、兄の方は戦場で腕を振るい続ける若武者のごとく生き生きとしているのはいかなるわけか、と考える牢番だった。
 彼らが閉じこめられた城はオスマン・トルコ領内のさびれたアジアの都市エグリゴズにあった。ワラキア公国の将来の皇位継承者を人質としているだけあって厳重な警備体制が敷かれている。
 城には最近、幽霊が出るとの噂があった。幽霊が霧と共に現れると立っていられないほどの眠気に襲われて、後は何もわからなくなってしまうと恐れられていた。
 その夜のこと。

     

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第一部 序章と第1〜2章のバックナンバー

2019-08-02 00:00:00 | 私が作家・芸術家・芸人

 
 財部剣人です! 第三部の完結に向けてがんばっていきますので、どうか乞うご期待!

「マーメイド クロニクルズ」第一部神々がダイスを振る刻篇あらすじ

 深い海の底。海主ネプチュヌスの城では、地球を汚し滅亡させかねない人類絶滅を主張する天主ユピテルと、不干渉を主張する冥主プルートゥの議論が続いていた。今にも議論を打ち切って、神界大戦を始めかねない二人を調停するために、ネプチュヌスは「神々のゲーム」を提案する。マーメイドの娘ナオミがよき人 間たちを助けて、地球の運命を救えればよし。悪しき人間たちが勝つようなら、人類は絶滅させられ、すべてはカオスに戻る。しかし、プルートゥの追加提案によって、悪しき人間たちの側にはドラキュラの娘で冥界の神官マクミラがつき、ナオミの助太刀には天使たちがつくことになる。人間界に送り込まれたナオミ は、一人の人間として成長していく内、使命を果たすための仲間たちと出会う。一方、盲目の美少女マクミラは、天才科学者の魔道斎人と手を組みゾンビー・ソルジャー計画を進める。ナオミが通うカンザス州聖ローレンス大学の深夜のキャンパスで、ついに双方が雌雄を決する闘いが始まる。

海神界関係者
ネプチュヌス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 海主。「揺るがすもの」
トリトン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ネプチュヌスの息子。「助くるもの」
シンガパウム ・・・・・・・・・・ 親衛隊長のマーライオン。「忠義をつくすもの」
ユーカ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 第一次神界大戦で死んだシンガパウムの妻
アフロンディーヌ ・・・・・・ シンガパウムの長女で最高位の巫女のマーメイド
アレギザンダー ・・・・・・・・・・ 同次女でユピテルの玄孫ムーの妻のマーメイド
ジュリア ・・・・・・・・ 同三女でネプチュヌスの玄孫レムリアの妻のマーメイド
サラ ・・・・・・・・・・ 同四女でプルートゥの玄孫アトランチスの妻のマーメイド
ノーマ ・・・・・・ 同五女で人間界に行ったが、不幸な一生を送ったマーメイド
ナオミ ・・・・・・・ 同末娘で人間界へ送り込まれるマーメイド。「旅立つもの」
トーミ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ナオミの祖母で齢数千年のマーメイド。
ケネス ・・・・・・・・・ 元ネイビー・シールズ隊員。人間界でのナオミの育ての父
夏海 ・・・・・・・・・・・・ 人間界でのナオミの育ての母。その後、ニューヨークに
ケイティ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ナオミのハワイ時代からの幼なじみ
ナンシー ・・・・・・・・・・・・・・・・ 聖ローレンス大学コミュニケーション学部教授

天界関係者
ユピテル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「天翔るもの」で天主
アスクレピオス ・・・・・・・ 太陽神アポロンの兄。アポロノミカンを書き下ろす
アポロニア ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ アポロンの娘で親衛隊長。「継ぐもの」
ケイト ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ アポロンの未亡人。「森にすむもの」
シリウス ・・・・・・・・・・・・・・ アポロニアの長男で光の軍団長。「光り輝くもの」
               で天界では美しい銀狼。人間界ではチャック
アンタレス ・・・・・・・ 同次男で雷の軍団長。「対抗するもの」で天界では雷獣。
                            人間界ではビル
ペルセリアス ・・・・・・・ 同三男で天使長。「率いるもの」で天界では金色の鷲。
                         人間界ではクリストフ
コーネリアス ・・・・・・・・・・・・・ 同末っ子で「舞うもの」。天界では真紅の龍。
   人間界では孔明

冥界関係者
プルートゥ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「裁くもの」で冥主
ケルベロス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3つ首の魔犬。「監視するもの」で
  キルベロス、ルルベロス、カルベロスの父
ヴラド・“ドラクール”・ツェペシュ ・・ 親衛隊の大将軍。「吸い取るもの」で
       人間時代は、「串刺し公」とおそれられたワラキア地方の支配者
ローラ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・“ドラクール”の妻で、サラマンダーの女王。
「燃やし尽くすもの」
アストロラーベ ・・・・・・・・・・・・・・ ヴラドとローラの長男で、親衛隊の軍師。
                            「あやつるもの」
スカルラーベ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 同次男で、親衛隊の将軍。「荒ぶるもの」
マクミラ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 同長女で、人間界に送り込まれる冥界最高位の
神官でヴァンパイア。「鍵を開くもの」
ミスティラ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 同次女で、冥界の神官。「鍵を守るもの」
ジェフエリー・ヌーヴェルヴァーグ・シニア ・・・パラケルススの世を忍ぶ仮の姿
ジェフエリー(ジェフ)・ヌーヴェルヴァーグ・ジュニア … マクミラの育ての父

「第一部序章 わたしの名はナオミ」

「第一部第1章−1 神々のディベート」
「第一部第1章−2 ゲームの始まり」
「第一部第1章−3 シンガパウムの娘たち」
「第一部第1章−4 末娘ナオミ」
「第一部第1章−5 父と娘」
「第一部第1章−6 シンガパウムの別れの言葉」
「第一部第1章−7 老マーメイド、トーミ」
「第一部第1章−8 ナオミが旅立つ時」

「第一部第2章−1 天界の召集令状」
「第一部第2章−2 神導書アポロノミカン」
「第一部第2章−3 アポロン最後の神託」
「第一部第2章−4 歴史の正体」
「第一部第2章−5 冥界の審判」
「第一部第2章−6 "ドラクール"とサラマンダーの女王」
「第一部第2章−7 神官マクミラ」
「第一部第2章−8 人生の目的」

  

「第一部 神々がダイスを振る刻」をお読みになりたい方へ

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