エグリゴズの城には、最近、幽霊が出るとのうわさがあった。
その夜のこと。緑色の霧が城内をつつみ兵士たちがバタバタ倒れていく中を、ゆうゆうと歩いていく一人の怪人。靴音をさせて石段を降りて地下牢の前で立ち止まると、ヴラドの顔を見つめた。
眠ることもなく待っていたヴラドが声をかける。「その仮面は、いったい何だ。カタツムリの殻ででもできているのか?」
ここ数ヶ月、怪人は2〜3日続けて訊ねてくるかと思えば10日以上も姿を見せないこともあった。だが、一つ決まっているのは必ず不思議な紋様の仮面をつけていることだった。
「ヴラドよ。今回の仮面は、ドイツのファスナハト(謝肉祭)のシュネッケヒュスラーじゃ。仮面をつけるのには理由がある。ひとつは、時空を超える異界の力を借りる業(わざ)をおこなうために、神との儀式を取り結ぶのじゃ」
「パラケルススよ」そんなことを言ったのは、昼間の看守とのいさかいが頭にあったからかもしれない。「相変わらずおもしろいことを言う。お前は、名からして奇矯だからな」
パラケルススと呼ばれた男が、16世紀ヨーロッパ史上最大の錬金術師とするなら、それはありえない。彼は1493年に生まれ、1541年に死んだことになっている。それでは50年以上も前の世界に、生まれてもいない男が存在していることになる。
「何を言うか。我が名は、古代ローマの名医であった『ケルススを凌駕するもの』という意味じゃ。ケルススはローマ世界の医学を知る書『医学論』で知られるが、それは失われた宝典のごく一部に過ぎぬ。宝典の失われた巻には、農業、法律、レトリック、さらに軍法までが含まれていたのじゃ」
「お前が、偉大なるケルススを凌駕する何かを持っているというのか?」
「もちろん持っておる。『医学論』などとは、比較にならぬ禁断の書を。もしも世にでることがあれば、人類の歴史そのものさえ変えかねないものを。それが、儂がお前にこうして知識を与えている理由だが、まだ禁断の書に関してお前に伝える時ではない」
「まあ当てにせず、その時とやらを待つとするか。そもそもお前たち錬金術師とは魔術師のようなものか?」
「魔術師だと! しかけにたよる手品師たちと一緒にされたくはないわ」
「巷では、錬金術師を黄金の製造をもくろむ山師と言っているではないか?」
「錬金術師(アルケミスト)とは、まったくの見当違いの呼び名。我らの前提では天界も人間界も同じ仕組みでできている。我らは、神々が世界を創造した行為を実験室で再現する試みをしているのが、それが『火を用いる哲学者』と呼ばれる由縁じゃ」
「神々が世界を創造した試みだと!」
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