書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

待賢門院・結縁書の表紙

2007-06-11 09:58:43 | Weblog

平安時代の末期になると、
摂関政治の没落から院政を経て、
雪崩を打ったように公家社会から武家社会へ移行したが、
煌びやかな風雅な生活を由とした公家風の生活が、
力を基盤にしきたりを度外視した武士風の生活へと代わって行った。

平安初期、中期に書の歴史に名を残す多くの人物が輩出したが、
後期に入ると数少ない。
一般の歴史に名を残す人物の書を興味本位に挙げてみた。
この時代、私の興味を惹く人物は西行と待賢門院、
あとは源平の武人達、高僧達である。
彼らがどんな書を残しているのか興味を惹かれた。

待賢門院(1101-1145)
西行を恋の虜にし、
それが西行出家の原因とも言われている待賢門院に興味が湧いた。
西行の恋歌の多くは待賢門院を偲んだ歌と言われている。
美貌と才を以って数々の浮名を流したことで知られる。
幼い頃から白河法皇の手元に置かれ、若くして法王の寵愛を受けた。
後に、法王の意向で皇孫の鳥羽天皇の中宮となる。
二方の御子が、崇徳天皇、後白河天皇である。
白河法皇の崩御以後、鳥羽天皇の寵愛を失い、早々に出家する。
多くの写経を残したとの文献があるが、
不思議な事に彼女の書を見つけ出せない。
唯一見付けた待賢門院のにおいのする書をここにあげた。
待賢門院の結縁書の表紙に書かれたものであるが、
待賢門院の書ではないと思われる。
もう一つ不思議なのは、
才女として知られた待賢門院も和歌などにも長じていた筈だが、
彼女の歌を見出せなかったことである。
もっとも、書も歌も本格的に探したわけではない。
待賢門院の女御である堀河、その妹の兵衛は歌人として名高く、
西行との贈答歌なども数多く残っているのに不思議だ。
百人一首に堀河の歌がある。
長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝は物こそ思へ