木曾義仲(1154-1184)
頼朝に先んじ京に入り平家を追放し、征夷大将軍を名乗るが、
義仲は軍事的には天才だったが、政治家としては凡才だったのだろう。
後白河法皇の勘気を蒙るなど、政権を纏められず、
頼朝派遣の義経、範義軍に破れる。
頼朝とは従兄弟関係にあるが、
祖父の源為義と伯父の源義朝が対立以来、
父義賢が頼朝の兄義平に殺されるなど、
頼朝との因縁は深い。
平家物語の中に、
「色白う眉目(みめ)は好い男にてありけれども、起居のふるまひの無骨さ、もの言ひたる詞続きのかたくななる(みっともない)事限りなし。理かな、二歳より三十に余るまで、信濃國木曾と云ふ片山里に住み馴れておはしければ、なじかはよかるべき。」
とあり義仲は粗野では有るが美男であったらしい。
また、義仲の愛妾巴御前は武勇の誉れが高く、
大の男をひねり潰す大力で知られているが、
同じ平家物語に、
「色白く髪長くして、容顔誠に美麗なり」
とある。どんな人だったのだろう、想像するだけでも楽しい。
義仲が討死すると、一人の尼が墓のある義仲寺に住み着いた。
この尼が巴御前であったという伝説があり、
義仲寺は巴寺ともいう。
この巴御前の書も見付からない。
やはり、架空の人物だろうか。
一癖ある書風、片意地の強さを感じる。
可早如旧令安堵事