北条高時(1303-1333)
北条貞時の子、14代執権。
後醍醐天皇が最初に挙兵を計った正中の変は未然に防ぐが、
再度挙兵すると、足利尊氏がこれに応じ京都の六波羅探題を滅ぼし、
上野の新田義貞も挙兵し、高氏の嫡子千寿王(足利義詮)が合流すると、
関東の御家人多数が倒幕軍に加わり鎌倉に攻め入る。
東勝寺に入った高時以下北条一族800余人が自決し鎌倉幕府は滅亡した。
常に偉大な祖父・北条時宗や父・北条貞時と比較され、
遊楽に耽ける暗愚な執権とされていたようだ。
しかし、9歳で家督を継ぎ、執権となったのは14歳、
非力は当たり前といえば当たり前かもしれない。
読み:
祈祷事承候了恐悦恐々謹言