書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

高宗・賜梁汝嘉勅書(1135)

2006-10-21 06:59:50 | Weblog

高宗が重臣の梁汝嘉も誕生日を祝い贈り物を授けた勅である。
高宗29歳の書。
随所に黄庭堅、米フツの書風が見られ、二人の書をよく学んだ事が覗われる。
後世、筆が走りすぎて俗気が強い、との評がある。


高宗・仏頂光明塔碑

2006-10-20 06:51:40 | Weblog

高宗(1107-1187)

徽宗の皇子で南宋初代皇帝。
高宗は徽宗と共に政治家としては評判が悪いが、
徽宗の血を濃く受け、特に書を愛し南宋の書文化の中心をなした。

仏頂光明塔碑(1133)
高宗、27歳の作。
この書を見ると、彼が如何に黄庭堅に傾倒していたかが読み取れる。

岳飛・草書平沙帖

2006-10-16 08:37:55 | Weblog

岳飛(1103-1141)

金に対する歳貢などの屈辱的な政策に対し、
岳飛達を中心にしたナショナリズム運動が盛んになる。
これに対し秦檜は言論を弾圧し岳飛を獄死させる。

岳飛・草書平沙帖
相当に狂草を学んだのであろうが、
如何にも情熱家の岳飛らしい気合の篭った書だ。


宋徽宗(1082-1135)・千字文

2006-10-13 11:50:56 | Weblog

豪奢な生活を営み道教の造営に莫大な費用を注込むなど、
遂には北宋を断絶せしむる政治家としては極めて劣る皇帝であったが、
その北宋文化交流への貢献は歴史に留まる。
詩、書、絵画を成し歴代皇帝中髄一の文化人であった。
彼の編み出した痩金体は中国書道史の一頁を飾っている。

千字文
徽宗22歳の作というから相当に早熟だったのであろう。