書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

松尾芭蕉・書状

2009-04-10 08:11:32 | Weblog
松尾芭蕉(1644-1694)
伊賀上野の人、伊賀藤堂家良忠の近従として仕えたが良忠夭折の後、
京都、江戸を転々とし、1682年に母を亡くした事を契機に、
蕉風の理念としての「わび」を実践習得すべく歌枕への旅を決意したといわれる。 
「野ざらし紀行」を皮切りに「鹿島詣」「笈の小文」「更科紀行」
「奥の細道」等の名文を残す。


白芥子や時雨の花の咲つらん

井原西鶴・書状

2009-04-09 08:16:15 | Weblog
井原西鶴(1642-1693)
江戸時代前期の浮世草子作者として名高い。
当初は俳人としても知られ、一昼夜にて作句数を競う「矢数俳諧」にて2万3千5百首を詠んだという。
後に、「好色一代男」で作者として名を成し、好色物から「世間胸算用」等の町人物など、人間の欲望、享楽を描いた作品を多く残している。


めつらしき貴札忝拝見仕申候

熊沢蕃山・書状

2009-04-08 08:22:26 | Weblog
熊沢蕃山(1619-1691)
中江藤樹門下の陽明学者。
反骨精神は止まらず政権批判を行ったかどで蟄居謹慎させられ古河城にて生涯を閉じた。
反骨の儒者として藤田東湖、佐久間象山、横井小楠、橋本佐内等に追慕され倒幕の原動力となった。

夜前はゆるゆると得貴意候

狩野探幽・書状

2009-04-06 08:57:50 | Weblog
狩野探幽(1602-1673)

江戸時代の狩野派を代表する絵師。狩野永徳の孫。
早熟の画家であり、11才時に駿府で徳川家康に謁見、江戸移住後、16才で幕府の御用絵師となった
二条城障壁画等が残る。

尊書忝拝見仕候然ハ古眼三幅壱対

石川丈山・一行書

2009-04-05 09:06:45 | Weblog
石川丈山(1583-1672)
大坂夏の陣において功名を得たが,家康の軍律に背き蟄居させられる。
以後、諸国歴遊の後に京都一乗寺に居を構え、これを凹凸?と名付けた。
後に、
狩野探幽が描く三十六歌仙の肖像画を堂内に掲げたことで詩仙堂として知られるようになった。
三十六歌仙は綺羅星の如き中国の歌人、詩人達である。
蘇武-陶潛 謝霊運-鮑照 杜審言-陳子昂
李白-杜甫 王維-孟浩然 高適-岑参
儲光羲-王昌齢 韋応物-劉長卿 韓愈-柳宗元
劉禹錫-白居易 李賀-盧仝 杜牧-李商隠
寒山-霊 林逋-邵雍 梅尭臣-蘇舜欽
欧陽脩-蘇軾 黄庭堅-陳師道 陳与義-曽幾
如何にも心憎い対の選択だ。

漢詩はもとより儒学・書道・茶道・庭園設計に精通した才人であった。
煎茶道の祖とも言われる。
彼の作庭した名園が京都に残っている。
詩仙堂、蓮華寺、一休寺方丈庭園、東本願寺別邸・枳殻邸池泉回遊式庭園。

中国趣味趣味三昧に徹し、其の書も唐様に長じる。

沙泉帯草堂