今日は7回目の中山道歩きへ
自宅を通り過ぎてしまったため、これからはどんどん遠くなります。
今までは電車のみで目的地に向かっていたのですが、自宅から神保原駅までけっこう距離があるため、今回は高崎までは車
高崎駅前のコインパーキングを利用することにしました。
そして信越線で前回の終着点「群馬八幡駅」を目指しました。
自宅から高崎までの道が思ったより空いていたため、朝の7時40分には群馬八幡駅に着いてしまうことに・・。
というわけで、今回はここからスタート
最初は国道18号を歩いていきます。
併走しているサイクリングロードにのぼってみたら、けっこう眺めがよかったです。
少し歩くと一里塚跡を発見。
「藤塚の一里塚」っていうらしい。
これは道路の左側にあります。
右側にはお宮があったので、それが右側の一里塚跡かもしれません。
国号18号から逸れて板鼻宿に入っていきます。
板鼻宿はけっこう古い建物が残っていて、宿場町の風情が感じられました。
本陣跡は今は板鼻公民館でした。
そしてその公民館の奥にあったのが「皇女和宮資料館」。
残念ながら平日しか開館していないようで、中には入れませんでしたが、皇女和宮が降嫁のため江戸へ向う途中この書院に一泊しているということらしいです。
板鼻宿の中にあった用水路。
この先を歩いていくと・・・
ん?
ごろごろごろ。
後ろからウィール音が
あyoshさんとH@yashiさんとtomiさんだぁ~~
実は今日この辺りを歩くことを事前にyoshさんに知らせていたのです。
わ~い嬉しいな
yoshさんたちは米山公園へのロングランの下見も兼ねていたそうです。
なるほど、確かに良いコースかも。
サイクリングロードもあるし。
ここからちょこっとだけみなさんとお話しながら中山道歩き。
こんなマイナーな川っぺりの道をてくてくごろごろ。
ここが中山道だということは地元出身のyoshさんも知らなかったとのことでした。
けっこう「旧」中山道って分かりにくいところを通ってたりするんですよね。
18号と合流するところでみなさんとはお別れ。
yoshさんたちはそのまま米山公園に向かっていきました。
そして私たちは安中宿へ。
安中宿もなかなか趣のある良いところでした。
安中市は松井田町と合併したから、実は今回歩く場所はほとんどが「安中市」なんですよね。
旅の途中に安中市の観光課と観光協会が作った中山道のパンフレットをいただいたのですが、これが実によくできていて、途中道が分かりにくいところはこのパンフレットを活用させていただきました。
ちなみに安中といえば有名なのが「安政遠足(あんせいとおあし)」。
安中藩が安政年間(1854~1859)に士族、住民の士気を鼓舞するため始めたマラソンで、安中城(現在は文化会館)を出発して松井田、横川、坂本を経て碓氷峠の熊野神社までの約29kmを走るレース。
現在も「安政遠足侍マラソン」として毎年5月の第2日曜日に開催されていて、日本マラソンの発祥の地と言われています。
今年は5月9日に行われたようですね。
見てみたかったなぁ
ちなみに碓氷峠に入るとこの「安政遠足」の看板が道しるべ代わりになります。
旧碓氷郡役所。
伝馬町信号交差点を右折し坂道をのぼった先にあります。
明治44年に再建された旧碓氷郡役所で、ほとんどが当時のまま保存されているということです。
お隣には安中教会がありました。
中山道からはちょっと外れてしまいますが、新島襄の旧住宅に行ってみました。
新島襄は同志社大学の創始者。
安中では有名な人ですよね。
新島学園もあるし。
旧住宅の中は資料館になっていて、ちょこっと見学してきました。
展示物のほとんどは同志社大学から持ってきたものだそうです。
寄り道ばかりしていたので、杉並木に到達したのは10時半過ぎでした
天保年間には700本くらいあったという杉も今はこれだけ。
しかも新しく植え替えられたものらしいです。
(杉花粉の被害が少ないやつに・・)
街道は郷原という所に入り、右手に日枝神社という神社を発見。
この神社がすごかった
何がすごいって・・・
本殿の前にどーんと神楽殿があるんですよ
こんな神社見たことありません・・・。
(普通神楽殿って脇にありますよね?)
本殿へは神楽殿をくぐっていきます。
神社にもいろいろあるんですね。
一度18号と交差して、今度は松井田宿へ。
ちなみにこちらは中山道と18号が交差するところにあった常夜灯。
文化5年(1808)郷原村の妙義山講が建立したもの。
塔身正面に「白雲山」、東面に「文化五年戌辰四月七日」、西面に「当所講中」とあり、台座には「是より妙義道」とあり、妙義神社への参詣者への道しるべであったことが判ります。
国道18号との交差地点から坂道を下り、松井田宿に入っていきます。
松井田宿は江戸時代に宿場が成立する以前から、古くから松井田の庄として開けていたところで、戦国時代は関東の守りの最前線という役割を担っていました。
また城下町でもあり1551年(天文20)頃安中越前守忠政が松井田城を築城したとのことです。
松井田城は豊臣秀吉の小田原城攻めのときに落城していますよね。
確か昨年の大河ドラマ「天地人」で松井田城が落城するシーンがちょこっと出てきた気が・・。
松井田の商工会館。
洋館風な建物が素敵
補陀寺
大道寺政繁の墓があります。
右手の石垣は松井田城の一部だったそうです。
妙義山が近くなってきました。
中山道はだんだんと車も通らないような寂しい道になっていきます。
この辺、地図がないと中山道って分からないだろうなぁ。
そしてとうとうこんな道になってしまいました。
畑のど真ん中を突っ切っていきます。
難易度高いなぁ・・・。
その後また国道18号と交差し、その先は横川駅までだいたい18号と併走していました。
18号と交差してすぐ先にあったのが「五料の茶屋本陣跡」。
茶屋本陣とは、中山道を通行する江戸時代の大名や公家が休憩や昼食をした名主屋敷で、
「本陣」のような宿泊用施設ではありません。
五料の茶屋本陣は2軒あり、両家とも中島姓であったため「お西」「お東」と呼ばれていたそう。
1601年(慶長6)の記録によると、その頃すでに両家とも五料村の代々名主役(二人名主制)を勤め、1836年(天保7)以降は一年交代で名主役を勤めています。
現在の建物は、以前大火で焼失したので、両家とも1806年(文化3)に同時に再建したものだということです。
中に入ることができたので、休憩も兼ねて入ってみました。
縁側に座って一休み。
あぁ。和むわぁ
ここから見る妙義山は良いですねぇ。
碓氷神社。
ここまで来れば横川駅はもうすぐです。
横川といえば「峠の釜飯」。
釜飯で有名な「おぎのや」の本社を発見。
横川駅は団体さんでごった返していました。
でも特別列車に乗るようで、信越線自体はがらがら。
帰りはのんびり電車の旅でした
電車だとわずか30分で高崎に着いてしまうんですよね
歩くと一日がかりなのに・・・。
夕食は高崎の駅ビル「モントレー」のレストラン街へ。
「田舎料理 しおん」の煮込みチーズハンバーグ。
ここの煮込みハンバーグおいしいんですよねぇ。
最後まであつあつで
通しで営業しているから、いつ入っても大丈夫なのが嬉しいです。
さて、横川に到達したので、次回は碓氷峠超えになります。
山道だから天気をしっかり調べて行かないとね。
自宅を通り過ぎてしまったため、これからはどんどん遠くなります。
今までは電車のみで目的地に向かっていたのですが、自宅から神保原駅までけっこう距離があるため、今回は高崎までは車
高崎駅前のコインパーキングを利用することにしました。
そして信越線で前回の終着点「群馬八幡駅」を目指しました。
自宅から高崎までの道が思ったより空いていたため、朝の7時40分には群馬八幡駅に着いてしまうことに・・。
というわけで、今回はここからスタート
最初は国道18号を歩いていきます。
併走しているサイクリングロードにのぼってみたら、けっこう眺めがよかったです。
少し歩くと一里塚跡を発見。
「藤塚の一里塚」っていうらしい。
これは道路の左側にあります。
右側にはお宮があったので、それが右側の一里塚跡かもしれません。
国号18号から逸れて板鼻宿に入っていきます。
板鼻宿はけっこう古い建物が残っていて、宿場町の風情が感じられました。
本陣跡は今は板鼻公民館でした。
そしてその公民館の奥にあったのが「皇女和宮資料館」。
残念ながら平日しか開館していないようで、中には入れませんでしたが、皇女和宮が降嫁のため江戸へ向う途中この書院に一泊しているということらしいです。
板鼻宿の中にあった用水路。
この先を歩いていくと・・・
ん?
ごろごろごろ。
後ろからウィール音が
あyoshさんとH@yashiさんとtomiさんだぁ~~
実は今日この辺りを歩くことを事前にyoshさんに知らせていたのです。
わ~い嬉しいな
yoshさんたちは米山公園へのロングランの下見も兼ねていたそうです。
なるほど、確かに良いコースかも。
サイクリングロードもあるし。
ここからちょこっとだけみなさんとお話しながら中山道歩き。
こんなマイナーな川っぺりの道をてくてくごろごろ。
ここが中山道だということは地元出身のyoshさんも知らなかったとのことでした。
けっこう「旧」中山道って分かりにくいところを通ってたりするんですよね。
18号と合流するところでみなさんとはお別れ。
yoshさんたちはそのまま米山公園に向かっていきました。
そして私たちは安中宿へ。
安中宿もなかなか趣のある良いところでした。
安中市は松井田町と合併したから、実は今回歩く場所はほとんどが「安中市」なんですよね。
旅の途中に安中市の観光課と観光協会が作った中山道のパンフレットをいただいたのですが、これが実によくできていて、途中道が分かりにくいところはこのパンフレットを活用させていただきました。
ちなみに安中といえば有名なのが「安政遠足(あんせいとおあし)」。
安中藩が安政年間(1854~1859)に士族、住民の士気を鼓舞するため始めたマラソンで、安中城(現在は文化会館)を出発して松井田、横川、坂本を経て碓氷峠の熊野神社までの約29kmを走るレース。
現在も「安政遠足侍マラソン」として毎年5月の第2日曜日に開催されていて、日本マラソンの発祥の地と言われています。
今年は5月9日に行われたようですね。
見てみたかったなぁ
ちなみに碓氷峠に入るとこの「安政遠足」の看板が道しるべ代わりになります。
旧碓氷郡役所。
伝馬町信号交差点を右折し坂道をのぼった先にあります。
明治44年に再建された旧碓氷郡役所で、ほとんどが当時のまま保存されているということです。
お隣には安中教会がありました。
中山道からはちょっと外れてしまいますが、新島襄の旧住宅に行ってみました。
新島襄は同志社大学の創始者。
安中では有名な人ですよね。
新島学園もあるし。
旧住宅の中は資料館になっていて、ちょこっと見学してきました。
展示物のほとんどは同志社大学から持ってきたものだそうです。
寄り道ばかりしていたので、杉並木に到達したのは10時半過ぎでした
天保年間には700本くらいあったという杉も今はこれだけ。
しかも新しく植え替えられたものらしいです。
(杉花粉の被害が少ないやつに・・)
街道は郷原という所に入り、右手に日枝神社という神社を発見。
この神社がすごかった
何がすごいって・・・
本殿の前にどーんと神楽殿があるんですよ
こんな神社見たことありません・・・。
(普通神楽殿って脇にありますよね?)
本殿へは神楽殿をくぐっていきます。
神社にもいろいろあるんですね。
一度18号と交差して、今度は松井田宿へ。
ちなみにこちらは中山道と18号が交差するところにあった常夜灯。
文化5年(1808)郷原村の妙義山講が建立したもの。
塔身正面に「白雲山」、東面に「文化五年戌辰四月七日」、西面に「当所講中」とあり、台座には「是より妙義道」とあり、妙義神社への参詣者への道しるべであったことが判ります。
国道18号との交差地点から坂道を下り、松井田宿に入っていきます。
松井田宿は江戸時代に宿場が成立する以前から、古くから松井田の庄として開けていたところで、戦国時代は関東の守りの最前線という役割を担っていました。
また城下町でもあり1551年(天文20)頃安中越前守忠政が松井田城を築城したとのことです。
松井田城は豊臣秀吉の小田原城攻めのときに落城していますよね。
確か昨年の大河ドラマ「天地人」で松井田城が落城するシーンがちょこっと出てきた気が・・。
松井田の商工会館。
洋館風な建物が素敵
補陀寺
大道寺政繁の墓があります。
右手の石垣は松井田城の一部だったそうです。
妙義山が近くなってきました。
中山道はだんだんと車も通らないような寂しい道になっていきます。
この辺、地図がないと中山道って分からないだろうなぁ。
そしてとうとうこんな道になってしまいました。
畑のど真ん中を突っ切っていきます。
難易度高いなぁ・・・。
その後また国道18号と交差し、その先は横川駅までだいたい18号と併走していました。
18号と交差してすぐ先にあったのが「五料の茶屋本陣跡」。
茶屋本陣とは、中山道を通行する江戸時代の大名や公家が休憩や昼食をした名主屋敷で、
「本陣」のような宿泊用施設ではありません。
五料の茶屋本陣は2軒あり、両家とも中島姓であったため「お西」「お東」と呼ばれていたそう。
1601年(慶長6)の記録によると、その頃すでに両家とも五料村の代々名主役(二人名主制)を勤め、1836年(天保7)以降は一年交代で名主役を勤めています。
現在の建物は、以前大火で焼失したので、両家とも1806年(文化3)に同時に再建したものだということです。
中に入ることができたので、休憩も兼ねて入ってみました。
縁側に座って一休み。
あぁ。和むわぁ
ここから見る妙義山は良いですねぇ。
碓氷神社。
ここまで来れば横川駅はもうすぐです。
横川といえば「峠の釜飯」。
釜飯で有名な「おぎのや」の本社を発見。
横川駅は団体さんでごった返していました。
でも特別列車に乗るようで、信越線自体はがらがら。
帰りはのんびり電車の旅でした
電車だとわずか30分で高崎に着いてしまうんですよね
歩くと一日がかりなのに・・・。
夕食は高崎の駅ビル「モントレー」のレストラン街へ。
「田舎料理 しおん」の煮込みチーズハンバーグ。
ここの煮込みハンバーグおいしいんですよねぇ。
最後まであつあつで
通しで営業しているから、いつ入っても大丈夫なのが嬉しいです。
さて、横川に到達したので、次回は碓氷峠超えになります。
山道だから天気をしっかり調べて行かないとね。
実はどういうシチュエーションでお会いできるのかなと密かに楽しみにしていましたw
後ろから「ごろごろ」は良かったですねぇ~。
ちなみにkjさんの方が先に気がつきました。
「ウィール音がするよ。」
って。
京都にたどり着くのがいつになるかは分かりませんが、ぼちぼち歩いていきたいと思います。
前々からアレコレサプライズ企画していたのだけど 二人の歩くペースがわからず タイムスケジュールが組めない組めないw 悩んで迷って楽しい数日だったよ~♪(悩んだ割にはアッサリ合流でしたが) 郷原はまさしく地元。育った地区です。懐かしい写真がいっぱいで嬉しい。。。
こんなお散歩ランもいいなぁ
京都までの歩け歩けレポート 楽しみにしています♪