(Sun)
NHK「日曜美術館」の「千年の花を咲かせたい~小泉淳作・東大寺ふすま絵に挑む~」を
鑑賞しました
日本画家の小泉淳作さん(86歳)は5年がかりで取り組まれていた
大作「東大寺のふすま絵」を昨年、完成させました。
40枚分のふすまが桜・蓮の花々に埋め尽くされ
その様子は圧巻でした!!
素晴らしいー
桜の花は誰が描いても同じようになってしまってつまらない、桜は嫌い、と
これまで一度も描いたことがなかった花だそうです。
しかし我を捨て、東大寺の根本教義である華厳供犠の世界観を
この国に最も愛されている桜で表現しようと思った、と。
そして
「蓮の花は、一番好きな花、花の中でも一番美しいと思う」と
語られていました。
蓮の花、私もスキです
緑の大きな葉に囲まれ凛と清楚な色で開花する様は本当に綺麗です
蓮の花は午後には萎んでしまうため実家にある蓮池で
「今のうちに蓮の花の写真を撮っておいてネ」って母が私に
言ってたコトがありました
数年前のある夏の日のスナップ
蓮の葉っぱを傘にして by 甥っ子くん撮影
蓮の葉っぱも花に劣らず、丸く大きなカタチや露を弾く所など魅力なんです
蓮をWikipediaで見てみると
「仏教では泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が
仏の智慧や慈悲の象徴とされ、様々に意匠されている。」とありました
今度、私も蓮の絵を描きたいなって気持ちに
小泉淳作さんの絵のお話に戻って。
孔雀石をすりつぶして作る緑青、なんて聡明な岩絵の具でしょうと
魅力を感じました。
「最近は人工の絵の具があるけれど少ない絵の具で象徴的に描くのがよい」と
語られてたことが印象的でした。
小泉淳作さんのお言葉
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絵の完成ということは、どこで自分を許すかっていうこと。
関所を持っていなければ
心の中でこれなら通ってもよろしいっていう
関所がなければいけないと思う。
描こうとする対象を深く見つめて
その存在を確かめようとすることは
それによって同時に自分の存在をも確かめようとすることである。
未知の世界に挑戦するときや
この世に新しい美しさを発見したときの緊張感は
自分の持つことのできる最も貴重な時間である。
そのときこそ自分が今、生と死の接点にいるのだということを
理屈抜きに感じるのである。
絵を描くという事は、辛抱の連続である。
それも辛抱の種をわざわざ増やしたり馬鹿な事を積み重ねて行く、
そんな道程を経ないと自分の目指す地点に出られないのだから仕方がないのだ。
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NHK「日曜美術館」の「千年の花を咲かせたい~小泉淳作・東大寺ふすま絵に挑む~」を
鑑賞しました
日本画家の小泉淳作さん(86歳)は5年がかりで取り組まれていた
大作「東大寺のふすま絵」を昨年、完成させました。
40枚分のふすまが桜・蓮の花々に埋め尽くされ
その様子は圧巻でした!!
素晴らしいー
桜の花は誰が描いても同じようになってしまってつまらない、桜は嫌い、と
これまで一度も描いたことがなかった花だそうです。
しかし我を捨て、東大寺の根本教義である華厳供犠の世界観を
この国に最も愛されている桜で表現しようと思った、と。
そして
「蓮の花は、一番好きな花、花の中でも一番美しいと思う」と
語られていました。
蓮の花、私もスキです
緑の大きな葉に囲まれ凛と清楚な色で開花する様は本当に綺麗です
蓮の花は午後には萎んでしまうため実家にある蓮池で
「今のうちに蓮の花の写真を撮っておいてネ」って母が私に
言ってたコトがありました
数年前のある夏の日のスナップ
蓮の葉っぱを傘にして by 甥っ子くん撮影
蓮の葉っぱも花に劣らず、丸く大きなカタチや露を弾く所など魅力なんです
蓮をWikipediaで見てみると
「仏教では泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が
仏の智慧や慈悲の象徴とされ、様々に意匠されている。」とありました
今度、私も蓮の絵を描きたいなって気持ちに
小泉淳作さんの絵のお話に戻って。
孔雀石をすりつぶして作る緑青、なんて聡明な岩絵の具でしょうと
魅力を感じました。
「最近は人工の絵の具があるけれど少ない絵の具で象徴的に描くのがよい」と
語られてたことが印象的でした。
小泉淳作さんのお言葉
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絵の完成ということは、どこで自分を許すかっていうこと。
関所を持っていなければ
心の中でこれなら通ってもよろしいっていう
関所がなければいけないと思う。
描こうとする対象を深く見つめて
その存在を確かめようとすることは
それによって同時に自分の存在をも確かめようとすることである。
未知の世界に挑戦するときや
この世に新しい美しさを発見したときの緊張感は
自分の持つことのできる最も貴重な時間である。
そのときこそ自分が今、生と死の接点にいるのだということを
理屈抜きに感じるのである。
絵を描くという事は、辛抱の連続である。
それも辛抱の種をわざわざ増やしたり馬鹿な事を積み重ねて行く、
そんな道程を経ないと自分の目指す地点に出られないのだから仕方がないのだ。
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