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さて、彼らが道を進んで行くと、ある人がイエスに言った。「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」
すると、イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」(ルカ9:57~58)
キリスト者はこの世に安住の地所を持つ者ではなく、世に枕して眠りこける者でもない。ただ、主が備えてくださるものによって生きるのである。
イエスは別の人に、こう言われた。「わたしについて来なさい。」しかしその人は言った。「まず行って、私の父を葬ることを許してください。」
すると彼に言われた。「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」(ルカ9:59~60)
「父を葬る役割を終えてから従います。」と言う者は、「娘が嫁いでから・・」とも言うだろう。古いくびきを切り捨てないかぎり、主のくびきは負うことは出来ない。
別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」
するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」(ルカ9:61~62)
キリスト者には、この世のすべては後ろのものとなる。それは過ぎ去ったのである。後ろを見る者ではなく、イエスさまのくびきを負っていつも前進する者である。
私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。(ピリピ3:20)