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そこで、イエスはこう言われた。「神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。
それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」
(ルカ13:18~19)
神の国はからし種のようなものとイエスさまは言われた。からし種はその小ささによって誰の目にも留まらず、取るに足りないもののようである。
しかし、地に蒔けば生長して枝を張る木となり、主の養いにより頼む空の鳥の安住の場所となる。
またこう言われた。「神の国を何に比べましょう。パン種のようなものです。女がパン種をとって、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。」(ルカ13:20~21)
神の国はパン種のようなものと言われた。パン種も人目には付かないものであるが、それは命の糧を大きく豊かに膨らませて、人のいのちを養うものである。
5つのパンのたとえのように、無限の養いが神の国には準備されていることを教えているのである。
聖書の中の「鳥」には、みことばの種をついばむサタンの働きもあれば、主の養いを豊かに受ける祝福の鳥もある。
「パン種」はパリサイ人やサドカイ人の滅びに至らせるものもあれば、命のパンの豊かさを実現するパン種もある。
聖書には同じ言葉でも真逆の意味が隠されており、どんな時も聖霊によって開かれるものであって、聖書全体が一つの御霊によって開かれるなら、そこには矛盾はないのである。