イエスさまはお弟子に「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」と言われた。男だけで五千人にもなる群衆に弟子たちは戸惑う・・、
イエスさまは「パンはどれくらいありますか、行って見てきなさい」と言われ、お弟子は群衆の中に五つのパンと二匹の魚を見つけた。
主が「しなさい」と命じられる時は、すべてを準備してくださって、ご自身を経験させようとしておられるのである。
弟子たちにパンを見つけさせることは、私たちにみことばを思い出させようとされるようだ・・。今、わずかな手持ちのみことばによって主のわざをせよと言われる。
お弟子の持って来た五つのパンと二匹の魚で、イエスさまは群衆を満腹にして残りが十二籠にもなった。主の御手を通るならわずかなものも無限な豊かさとなる。
私たちは、その主を内に宿していることを悟るべきである。それは私たちの内に居られる方を「どなたと心得るか」ということである。
だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。(Ⅰヨハネ4:15)
主に在る五つのパンや二匹の魚は、どんなに時にも必要を満たす神の豊かさであり、人から出るものは、幾らあっても必要を満たし得ない貧しさを持っている。だから、神ではなく人に頼るならキリスト者といえども貧しくなる。
それでも、主は悟りのない者の困難をもちゃんと見ていてくださる。
イエスは、弟子たちが、向かい風のために漕ぎあぐねているのをご覧になり、夜中の三時ごろ、湖の上を歩いて、彼らに近づいて行かれたが、そのままそばを通り過ぎようとのおつもりであった。
なぜ、「通り過ぎるおつもりだったのだろう・・」と思い巡らせていて気づいた。
舟を出すように命じられたのは主である。だから彼らは必ず無事に着く。イエスさまはお弟子がお言葉に信頼して、事を成し遂げ成長するのを期待されたのだ。
それでも主は放って置けなかったので側まで来てくださった。まるで歩きかけの子どもをハラハラと見守る母親のように・・。
キリスト者は、主に信頼するなら水の上さえ歩ける者なのだ。
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