石ころ

魂の死(ヨハネ12章)




まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(ヨハネ12:24)

一つのみことばに従順するということは、主を選ぶという意志によることで、その時、恐れに波立ち逆巻く感情に勝って、主への深い思いによることである。
それは、神の愛に満たされて生まれる力である。一粒の麦となってイエスさまが死んでくださったことを、知った時に得た愛である。

日々の小さな事から大きな事まで、みことばに信頼する選択によって、神の御わざを経験するようになる。それはイエスさまの温かな眼差しを覚える感覚である。
その中で、自分の思いを遂げるか、神のみことばに信頼して自分発のものを殺すか、という戦いは激減して行く。
主を知れば知るほど愛に満たされて、心が満足してしまうからである。

何時しか主のみこころか自分の願いなのか・・なんて意識しなくなり、みことばに心から賛同するようになって居る。
それはもう自分の魂が死んで、いつの間にか「生きる事はキリスト」という状態になってしまっていること。

死んだ魂は、霊の支配を受けてキリストの中に安息するから、世の影響から手厚く守られている。それは主を喜ぶ喜びのさざ波が、昼も夜も心を洗っているからである。

まことに私のいのちの日の限り
いつくみと恵みとが私を追ってくるでしょう
私はいつまでも主の家に住まいましょう(詩編23:6)

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