眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。
イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。
私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。
すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(13~17)
携挙のことを読む時、それまでの困難な状況に思い煩っていた堅い心が、とたんに緩んで喜びに笑えて来る。聖書をよみながらにやにやしてしまう。その日を思い巡らせて、期待と喜びに包まれるから。
祈り続けて来た人々の救いを、主にお委ねして喜ぶのである。
見たことも聞いたこともない神の御わざが、この身に成ることを、ただ、喜んで受けるのである。
天高く雲に包まれて、慕わしいイエスさまにお目にかかれるのだから、それは正気を保てなくなるほどの・・驚喜すべきことである。
ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい。(18)
キリスト者の真実な励ましは此処に在る。それは決して口先の励ましとはならず、単なる希望でもない。
この世でも後の世でも、すべての権威、権力、主権をもっておられる主の御約束だからである。