神はヤコブに仰せられた。「立って、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウから逃れたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」
それで、ヤコブは自分の家族と、自分と一緒にいるすべての者に言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、衣を着替えなさい。(1~2)
神の民がまずなすべき一つのことは、救い主を覚えて聴き従うことである。みことばに聴き従うことによってのみ、神の栄光を現わす者となるからである。
追い詰められていたヤコブは、神に従順するための備えを家族に命じた。シェケムでの怒りや憎しみの血に汚れた衣を脱ぎ捨てて、神の御前に出て御声に従順するためである。
私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこに、苦難の日に私に答え、私が歩んだ道でともにいてくださった神に、祭壇を築こう。」
彼らは、手にしていたすべての異国の神々と、耳につけていた耳輪をヤコブに渡した。ヤコブはそれらを、シェケムの近くにある樫の木の下に埋めた。
彼らが旅立つと、神からの恐怖が周りの町々に下ったので、だれもヤコブの息子たちの後を追わなかった。(3~5)
主に在る者を飾るのは、みことばへの従順によってたまわる神の栄光の輝きである。罪を赦されて着替えた白い衣であり、偶像に姿を変える耳輪を外して、主にのみより頼むきよめられた耳である。
ラケルは父の家から盗んで来た偶像を捨てたのだろう。「すべての異国の神々」とある。神に従っている者を守るのは神であり、私たちの知恵でも力でもない。聴き従うことによって導きを得るなら、どのような状況に在っても御名があがめられるのである。
すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11:36)
神は常にヤコブの弱さを覆って守られた。それは御約束に拠ることである。みことばは永遠に変わることはない。その計画は私たちがどのようであるかによって変わるものではない。
信仰者は神の訓練の中を通って成長する。すべてのことが、みことばから発することが完璧な備えである。
ヤコブは、カナンの地にあるルズ、すなわちベテルに来た。彼とともにいた人たちもみな一緒であった。
彼はそこに祭壇を築き、その場所をエル・ベテルと呼んだ。それは、彼が兄から逃れたとき、神がそこで彼に現れたからである。(6~7)
神の民は礼拝による神との交わりによって導かれて行く。それは私たちの霊と聖霊による真実な礼拝である。主のお守りにある幸いを一つひとつ数えて、御名をほめたたえる礼拝である。
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:24)3版
ヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再び彼に現れ、彼を祝福された。
神は彼に仰せられた。「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルが、あなたの名となるからだ。」こうして神は彼の名をイスラエルと呼ばれた。(9~10)
神がイスラエルと名づけられてからも彼はヤコブであった。その生まれつきの弱さをもって遣り繰りをするものであったが、神が「イスラエル」と呼ばれた時から彼はイスラエルに成った。
主が呼んでくださるゆえに、私たちは「アバ・父」と応答して神の子となる。
神が備えてくださった救いのことばを、喜びと感謝をもって受け入れたからであり、神が御子を通して救いのご計画を備えてくださたことに拠るのである。
神はまた、彼に仰せられた。「わたしは全能の神である。生めよ。増えよ。一つの国民が、国民の群れが、あなたから出る。王たちがあなたの腰から生まれ出る。
わたしは、アブラハムとイサクに与えた地を、あなたに与える。あなたの後の子孫にも、その地を与えよう。」(11~12)
今、私たちは日々神の祝福のことばを聴き、先立つキリストを確認しつつ生きることが赦されている。私たちの確かな永遠の望みは此処に在るのだ。