石ころ

戦友




久しぶりの雨。冷たい雨粒が紅葉した柿の葉をすべり、赤い千両の実を濡らして1日中しとしとと・・。
最近、不思議なことが続いている。20年近くなる交わりが突然再会されて驚いた後に、30年以上昔の方からお誘いが来た。

年賀状ではいつも「会いたい」と書かれていたけれど、横浜、大阪、奈良とバラバラで実現は無理と思っていた。
実は親の同窓会なのだ。それも次男が幼稚園だった頃の・・。

聾学校幼稚部で子ども達の障害を共有した戦友たち。良く笑う活動的で明るいクラスだった。私たちは生活環境も学歴も好みも人生の目標も、まったく違う個性的なクラスだった。
それが、それぞれ中年になった子ども達の生き方が、その頃の親の目指したままに実現していて驚きである。
彼らは皆しっかり自分で生きて活躍している。年賀状程度のお付き合いであったけれど一人はテレビで見かけるし、もう一人はふたりの子供のお母ちゃんになっている。

 あの頃は落ち込む時間などなく、子供の手を引っ張ってがむしゃらに前に進んでいた。私たちのクラスはどん欲で聾学校の枠を越えて、少しでも可能性があれば何処にでも出掛けて行って、持っている能力を伸ばすための情報を交換し切磋琢磨していた。
小学校からそれぞれ地域の学校に行ったので、幼稚部の3年間のお付き合いであった。

「いいけれど、私はもう後期高齢者なんだよ。会ってびっくりされてもいやだから、年齢と体重をあらかじめ伝えて置こうと思って」
「えーっ。あの頃は年の差なんてまったく気にして無かったから・・」
そうだ・・そんなことには何の興味もなかった。ただ、子供の状態だけを見ていて、そこにある可能性を話していた。手段や方法はそれぞれだったけれど・・。


 息子の障害を通して我が家はイエスさまに救われた。
主人は癌になっても最後まで穏やかに過ごし、殆ど苦しむこともなく天に召された。主人が、イエスさまの居られるパラダイスに居ると知って、私はずっと慰められている。
息子自身もみことばと祈りによって、健常者の中で働くための多くの困難を乗り越えているのだと思う。

それでも彼らは体の障害によって、しなくてもよいであろう苦しみを受けていることは事実である。それは、親であっても祈ることしかできない。
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
・・私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。(ローマ8:18.23)

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