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イエス様の教えてくださった祈り
父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。
わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。(ルカ11:2~4)
造り主の御名を崇め、みこころが成ることこそが人の幸いである。すべて造られたものは造り主の栄光を現すために存在するのだ。
しかしこのことは、聖霊に拠らなければ素直に「アーメン」とは言えない。
霊と肉の必要を毎日主から与えられ、主によって養われ生きていることを悟らなければ同意する事ができないのだ。
人は養われているものを礼拝するから、世に養われていると思う者は世に仕える。自分の力、自分の知恵に拠る者は自分のために生きるからである。
聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。(Ⅱコリント12:3)
主が私たちの罪のために死刑となってくださり、すべての罪を赦してくださった。初めに主が赦してくださったのであり、私たちが赦すことが交換条件とはならない。どれほど心を尽くそうとも、人の赦し程度の赦しでは私たちは救われない。
罪のないイエス様の血によってのみ赦され救われたのである。それは信仰によることである。
そのような私たちの赦しでさえもイエス様が認めてくださるのは、人の成り立ちをご存じで脱出の道を備えてくださったのである。
残らず皆赦さないことは主に逆らうことであり、赦すことはそれを命じられた主の勝利である。
しかし赦すことは聖霊による。聖霊によってイエス様の御愛を知るなら、何よりも主に従順することの喜びが勝るからである。
主に試みられているように感じるときがある。しかし、それは新しく主に出会うチャンスであったと後にわかる。
成長にはテストもある。しかし、ご真実な教師のイエス様はそのときぴったりと側にいて導いていてくださる。
誘惑はエバに語る蛇を思い出す。
「主よ、私たちをお守りください。私たちはいつもあなたが必要です。」