石ころ

絞りの布団




 私が祖父母に引き取られたのは、母を亡くした中学二年生の終わり頃だった。
祖母はまず私に自分の布団作らせた。布と染料を買って来て、絞り染めを教えてくれた。

大仕事だったように覚えているが染め上げて糸を解き、初めて見た絞りの藍と白の大きな花や小さな鹿の子に、とても感動したことを今も覚えて居る。
彼女は、その大きな布を布団に仕立てさせ、綿を入れて綴じることまですべてを私にさせた。手を貸してはくれたけれど・・。

 私は藍色のその布団に眠むるとき、小さな自信のようなものを感じていた。それはどれほどにか・・慰めであったと思う。
祖母は、体を動かして生きるという力をを与えようとしたのだろう。それは楽しいことだ自信を持って生きよと。

彼女は、そう長くは面倒を見られないことを、感じてのことだったのだろうと思う。私が中学校を卒業するなり亡くなったから・・。
病がちの祖母には、教えることはしんどかっただろうと今は察することができる。

 結婚して私は家族の布団は小まめに作り直した。綿を打ち直し洗濯をして作り替え、また着物を解いて布団に仕立てることもあった。
綿の入れ方だけは、打ち直し綿を持って来てくださった布団屋さんに直接習った。それからはぐんと美しく仕立てることができるようになった。

今では羽毛になり、敷き布団も家で作り直すこともない物になった。
それでも、時々祖母に教えられた青い布団が懐かしくなる。世界で一つの私の布団が・・

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コメント一覧

ムベ
デ某さんコメント感謝します
イエスさまが、私の過去の弱さや愚かさ、不満や嘆き悲しみのすべてを十字架であがなって、新しくしてくださいました。
もし、聖さの欠片があるとしたら、そのイエスさまからでたことだと嬉しいです。

ブログを見せていただきました。
戦争は単に兵隊が死ぬだけではなく、その家族も死の淵に立たされます。戦地にならなくても家族や家や財産を失います。
またそれが終わって聞いた言葉に「戦争で生き残ったのはずるい人ばかり」という嘆きがありました。

弱い人は生きられなくなります。心を偽れない人も非常に息苦しくなります。偽りの言葉や、あらゆる悪が大手を振ってのさばるのが戦争だと思います。若者は戦いの道具にされてしまいす。

私は通るべき所を経て、家の宗教ではない、私の救い主としてイエスさまに出会いました。それは、イエスさまの忍耐によることだと感謝に思っています。
私が自分のやりかたのすべてをやり終えるまで、待って居てくださったのだと思っています。
デ某
聖画のような・・・
http://blog.goo.ne.jp/00003193
ムベさんと電器屋さんの心ゆたかな会話・・・
一幅の聖画を観るようでした。

永平寺の若い禅僧の禅問答・・・。
「ひと知れず野辺に咲く一輪の野の花」を思いました。

お時間がございましたら・・・
http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a314f3154ef74fc3196682aa2a9e9882
ムベ
楽しいお話しありがとうございます。
ムクゲにそのような深いストーリーがあるのですね。毎朝咲く花の花言葉のひとつ、「説法」が心に残りました。朝毎に開くみことばから、主が説いてくださる恵みが重なりました。
利休の説法は実に鋭い・・いやいや、それをやんわりと心に落としたのは、朝顔の美しさなのでしょうね。

我が家の朝顔も備えられていのちのによって、美しい花を咲かせ始めました。数は少ないのですが一輪一輪をほめてあげたい気分です。
スマホで写真は撮れるのですが、ブログにアップすることができません。

朝顔の絞り咲きをみてふっと祖母の布団を思い出したのです。
人の命は草のよう・・、頼るべき人の死ばかり経験してきたので、主人に出会うまでは虚無感を抱えて生きていました。
生き方を変えてくれた主人は、そういう意味で私の命の恩人でもあります。もちろんすべては、イエスさまがご存じのことだったのですが・・。

「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」信仰に入って間もなく、このヨブ記のみことばに出会いました。私は即座に「アーメン」と言いました。
そのように同意できる自分に起こっている、主の癒しに驚きつつ、真っ直ぐにされたことを知りました。
みことばに即座に「アーメン」と答えられる以上の、祝福は無いと思っています。
ふふふ・・自分のことばかり書きましたね。
電気屋
そうですか、
ムベさんは母をなくした娘
祖母様は娘に先立たれた母

「死」は本当に非情なもの
そして「復活」はその「死」に対して
「お前が出来る事はここまで」と勝利を謳う

ウチの庭にもムクゲが咲き始めました。
槿は英語では
Rose of Sharon
シャロンのバラという聖書に出て来るイエスの別名とも言える名前になっています。

そして写真の白の一重花に中心が赤い底紅種は、千利休の孫である千宗旦(せんそうたん)が好んだことから、「宗丹木槿(ソウタンムクゲ)」と呼ばれているそうで
キリスト者でもあったかもしれないおじい様の利休らしい死と復活をイメージさせてくれる花

利休が育てて咲いた朝顔(むくげとも言われてるそうですが)を秀吉に、ぜひ見たいと所望され、実現したのがあの有名な「朝顔の茶会」とも言われています。
利休の庭に、朝顔の花が一面に咲く様子が大変美しいという噂を聞いた秀吉は、利休に「明朝、朝顔を見に行くから」と言いつけた。
 翌朝、秀吉が利休の屋敷へ行ってみると、朝顔の花などどこにも咲いていない。
 あの噂は偽りだったのかとがっかりし、腹を立てながらも、躙口(にじりぐち)を開けて茶室を覗いてみると、床に一輪の朝顔が生けてあった。それを見た秀吉は、庭一面に咲いている朝顔とは違う、独特の美しさに深く感動したという。
 利休は前日に庭にある朝顔を全部摘み取ってしまい、一輪だけ残しておいてそれを活けた。

金ぴかの黄金の茶室を、得意そうに見せびらかしている秀吉に対して、一輪の花が持つわびた美を示した利休
今でももっとも代表的な夏の茶花だそうですね。

そして芭蕉も一茶も俳句で読まれているほど古くから日本人に親しまれてきた槿、毎日、新し花を咲かせるスタイルから花言葉は「新しい美しさ」「信念」「尊敬」「柔和」「説法」「繊細な美」などだそうです。
長いウンチクになってしまいました、失礼しました。
ムベ
電気屋さんコメントありがとうございます
母方のおばあちゃんです。
京町屋の薄暗い部屋には、サムエルさんの絵が飾られていました。
時々、お薄を点ててくれました。お茶が好きなのはそのせいだと思っています。
追憶は老人の楽しみです。
主がすべての時を清めてくださったので、今は穏やかに思い出せることも感謝です。

私も、セーターを解いて洗ってゆのしをして、編み直していました。古い毛糸で配色を考えるのも結構楽しいのですよ。
古い毛糸の編み込みのセーターを、主人は仕事に着て「暖かい」と喜んでくれました。

今はすべてお金で解決ですが、手作りは作っている間中、その人のことを考えています。
奥様はお料理などで、とてもこまめに手作りされておられますが、その手間暇が愛の現れですね。
手を掛けた分だけ追憶も襞の深いものだと思います。
電気屋
引き取って下さった祖父母様は、父方それとも母方でしょうか。
どちらにせよムベさんを励まされ、手に技を教えて下さったのですね。

冬に古いセーターなどを解いて蒸気に通し巻きなおしてまた編み込むその香りを今でも思い出します。
新しい毛糸などはあまり買えず
編みなおしくれたセーターはいつも何色も継ぎ合わされていてカッコ悪いなと思いながら着てました。

時代は変わり思い出は色あせても、
追憶は常に美しい大切な宝物もの様です。
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