石ころ

主の祈りと千年王国




その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」(ヨハネ11:49~50)

カヤパの預言によって、イエスさまを殺す計画が実際に進んで行った。
それは、サタンが地を支配していることを証明したようでもあるが、十字架の備えは人類救済の神さまのご計画であり、主の栄光であって、此処から神さまのご計画は加速して行くのである。

御名が聖なるものとされますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行われるように地でも行われますように。(マタイ6:9~10)新改訳2017


キリスト者は日毎の祈りによって、御国の訪れを待ち望むようにと教えられた。
イエスさまが地の王座につかれ、あまねく礼拝され、天と同じようにみこころが行われるためである。

イエスさまの教えてくださった祈りは、目の前のやり繰りのためだけではなく、サタンからエデンの完全な支配を取り戻し、アダムによる呪いから地を回復するものでもある。

その日の布石として、キリスト者は地の各所に置かれているのである。キリスト者の役割は主が置かれた所に在ることである。
まるでオセロゲームのように、ある日逆転する主の御支配を、祈りの中でじっと見ている者である。
完成される日の様子は、天から見ることになるのだろうけれど・・。

「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」(黙示録22:23)


人は自分の短い命の中ですべてを終結してしまうけれど、創造主は初めから終わりまでのすべてにご計画を持っておられ、それを完成される。
私は今まで、永遠に至るための具体的な興味はなく、日々の主を味わう事で満足していたが、最近は繰り返し、繰り返し「知れ」と「語れ」と言われている。

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