石ころ

2020.4.6.「石ころ」5000日の守り

 

ブログ開設5000日目のデボーション箇所は十字架。
「石ころ」は、イエス・キリストの十字架によってあがなわれ、罪人が義とされた証である。

十字架が如何に完璧な救いであるのか、みことばにより頼む平安がどれほどのものであるか、そのことを経験させていただく中で、日々聖霊のお導きによって書いる。

 

みことばだけに頼る、この13年の間に夫は召されたが、イエスさまの身許に送った確信が、悲しみの中にもあって、夫に関することにはいつも平安があり、天で再び会う日の感謝がある。

 

今は恐ろしいほどに「時」の導きを感じている。黙示録に入って世の中がガラッと変わって来た。黙示録が終わったら時の重圧から逃げられると思っていたが、その日に息子と同じ個所でも読もうと

「何処を読んでいる?」とラインした返事が、「マルコ13章」と返って来た。イエスさまの世の終わりのメッセージに、今という時からは逃げられないと観念した。

 

主には、私を使ってみことばを語り伝えたい方があるのだ。私は聴いことばを流す管であろう。でも、この管は鉛管やビニル管ではなく、生きている血管であり、流す間も栄養を受け続けている。
それはなんとも役得で大きな恵みだった。知りたいみことばを教えていただけるのだから・・。

 

無学な者のこのようなことは、主が許し守ってくださるのでなければ続かない。みことばを尋ねても答えて下さらなければ、たちまち行き詰ってしまうのだから。すべては一方的なお恵みだと身に染みて知っている。
ただ、主は今、大変な人手不足なのだとも感じている。

 

彼らに言われた。「実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。(ルカ10:2)


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