キリスト者も世に生きているかぎり、世で発生した問題の火の粉を浴びることになる。
今そのことに直面している。
「思い煩うな。駆け引きするな。権利をすべて主に委任せよ。
そうして、それを主への捧げものとせよ。」と教えられた。
聖霊が導いてくださった平安の根拠は、「問題は捧げものとして昇華させることができる。」ということであった。
世に生きる世の悩みは、キリスト者には祈りによって神様への捧げものとなる。
世に尽きる事のない悩みがあることは、神様への捧げものが尽きないことでもあり、それはすばらしいことであった。
捧げものに事欠くようでは、神のための祭司も何もできないのだから・・。
蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。(Ⅱコリント9:10)
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