![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_uru.gif)
先日、「主の備え」の中で「もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。」(マタイ6:23)このみことばを、「お金に目がくらむということ」とそんなふうに書いてしまうのは良くないと気づかされた。乱暴な書き方をしてごめんなさい。
「からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、その全身はちょうどあかりが輝いて、あなたを照らすときのように明るく輝きます。」(ルカ11:34~36)
「彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。」(ローマ1:21)
「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」(1ヨハネ1:5)
「また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。」(Ⅱペテロ1:19)
「あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。」(1テサ5:5)
「第五の御使いが鉢を獣の座にぶちまけた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。」(黙示16:10)
私たちは暗闇にいてはいけない。はっきり見える目で主を見つめ、主を主として私のうちに光を愛して求め続けよう。私たちの霊の目が曇ることがなく守られますように。