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私自身に関しては、歯がグラグラになっも放って置いた罰によって、痛みで何も噛めなくなり、重い腰を上げて歯医者通いが始まった。
悪い歯を抜かれると痛みがなくなり何でも噛めるようになった。早く行けば良かった・・愚かだ。
今回は「最期までちゃんと通う」ことを決心した。4年前に部分入れ歯を作ってもらったけれど、一度使ったきり逃げ出してしまっていた。
最低な患者だとわかっていたので・・行きづらかったのだけれど。
部分入れ歯を持って行き、「使おうとしたら合いませんでした」と差し出した。医師はきっと怒りを押さえておられたと思うけれど・・、レントゲンを示して丁寧に説明をしてくださった。
「片側ばかり使った歯は、骨が減ってしまってグラグラになっています。歯が動いてしまって入れ歯も合わなくなっています。」
「でも・・入れ歯は・・仕方ないのでしょうね・・」
「分かります。みなさん最初は同じです。気持ちが悪いことは分かっています。」
「慣れるのでしょうか」
「慣れます。眼鏡だってそうだったでしょう。ずいぶん不自由なことがあるでしょう。」
「ああ、遠近両用なので何度もころんで、今は自分の目になりました。」
「この入れ歯はもう使えないので返しておきます」
「いざとなったら、これがあるから大丈夫だと思っていたのですが・・」
「役に立たなくなっていたでしょう」
笑って診察室を出る余裕を備えてくださった。本当はもっと多くの言葉があり・・、私は医師の親切な接し方によって、心にあることを話しても受け入れられることに安心していた。
嫌なことはちゃんと訴えてみたら良いのだ・・。私はその自信がなかったから何時も逃げ出して来た。
イエスさまが教えてくださっているのだと思った。私にとってはコミュニケーションの術は70の手習いなのだ。
主は年寄りをも決して諦めなさらず、手綱を緩めることもなさらない。このことは何時も経験している。