再び、ハンガリーの古刹(教会)を訪ねて、Erdély (エルディー、英語でTransylvania, Romania)
に向かう。 今度は国道43号線 Szeged(セゲド)から Makó (マコー)を通って、ルーマニアに入る。
ルーマニアでは国道7号線と名称は変わり、延々と対向車線の続く一般国道になる。
国境から45kmで最初の大きい街 Arad (アラド)を過ぎ、更に90kmほど行くと、今回の最初の目的地
Guraszáda (ギュラサーダ)である。 ギュラサーダは Hunyad (フニャド)県にある人口400人ほど
の村である。 この地域はアルパード王朝時代からハンガリーの領地であったが、1292年よりルーマニア人
がアンドラーシⅢ世(1290-1301年)の許可により定住を始め、村ではルーマニア人が大半を占めるように
なった。 1910年のトリアノン条約前には、村の人口735人で、ルーマニア人650人、ハンガリー人68人
であったが、2002年にはハンガリー人は4人しかいなくなった。
<百八十一番札所; Guraszáda (ギュラサーダ) Ortodox Church (正教会教会)>
教会は、12世紀の半ば、石積みの円形プラス四角形状の、いわばアルパード様式で建てられたが、
ルーマニア人が多く住んでいた為、正教会教会になってしまった。
国道7号線沿いの村の東端に墓地を傍らに佇む美しい教会である。
南からの外観 (西側の鐘塔は18世紀に増築された)
北からの外観 (手前は墓地)
西側から 東側から(祭壇側)
更に、国道7号線を西に進むこと60kmほどで、次の目的地 Algyógy (アルギョージ、ルーマニア
語でGeoaiu )である。 アルギョージは Hunyad (フニャド)県に属する町で人口約3000人で、
うちハンガリー人は27人が住んでいた(2002年)。 1785年には村の人口は1500人で、
ハンガリー人は200人ほど住んでいたらしいが、年々、減少している。 今は??(多分、数人であろう)
<百八十二番札所; Algyógy református (アルギョージ・カルヴィン派教会>
教会は、オリジナルの物がローマ時代にゴシック様式で建てられた。 現在の教会は15世紀に
ゴシック様式で教会区教会とし建て替えられたものであるが、ローマ時代の石像や彫刻が入口の
門脇や壁に保存されている。 但し、この教会を使うハンガリー人は非常に少なくなっているので
保存と云えるかどうか、捨て置かれている様相であることは、実に惜しい気がする。
敷地内にはハンガリアン・コミュニティが隣接しており、ハンガリー学校もあったようだ。
北東から 南東から
東側壁面に彫られたレリーフと祭壇のユニークな明かり取り窓
西側入口 ローマ時代の石像(ライオン一対)
入口屋根の上部の壁と角部の彫刻(いずれもローマ時代のもの)
西壁の彫刻 北西からの外観
南側壁に残る彫刻 南門とライオンの石像
敷地内にある円形教会は1077年の建立(右脇に見える建物はハンガリアン・コミュニティ。
これで、「Hunyad (フニャド)、トランシルヴァニアの教会」は、お終いです。