Gyulafehérvár (ギュラフェヒールヴァール)で国道1号線を北に10km行った所に今回最初の
目的地 Marosszentimre (マロシュ・セントイムレ、ルーマニア語で Santimbru ) がある。
更に4kmほど北上し、県道を左折し、6km進むと第2 の目的地 Boroskrakko (ボロシュ・クラッコー、
ルーマニア語で Cricau) である。
目的地の規模は次の通り、
・ Marisszentimre (マロシュ・セントイムレ); アルバ郡の人口 2740人の町である(2002年調べ)。
ハンガリー人は24人在住していた。 教会脇の数軒は
ハンガリー人であり、教会を守っていてくれた。
・ Boroskrakko (ボロシュ・クラッコー) ; フェヒール県の人口 1270 人の村である。(2002年調べ)
ハンガリー人は4人在住していた。
<百八十四番札所; Marosszntimre (マロシュ・セントイムレ)カルヴィン派教会>
教会は、小高い丘の上に12~13世紀に建てられた。 その頃の唯一の名残りは、教会南門(現在は
塞がれている)に残るロマネスク紋様レリーフである。(必見)
1442年にゴシック様式で再建されたのが、現在の形である。 この地の救世主 Laszló Hunyadi は
この地でオスマントルコ軍のリーダ M. スルタンを打ち破り、1449年には、カルヴィン派の教会を築いた。
この時代から18世紀までが、教会にとって、最も輝いていた時期であった。 塔の一部は18世紀に改築。
この教会の美しさと宿命を詠った Jékely Zoltán の哀しい詩(タイトル; A marosszentimrei templomban
1936年)は有名。 彼に傾倒した Kányádi Sándor も又、この教会を詠っている。 (タイトル;オルガンの
傍らで、 1975年)
オルガンなど何処に行ってしまったのだろうか? 教会も消えてしまわないよう願うのみである。
南からの外観 塔の上部が18世紀に改築
北西からの外観 内陣北側の外壁
南東からの外観(祭壇側) 周りの景観を眺める古い墓標
塔下の入口門(西側) 南門脇石に彫られたロマネスク紋様
内陣(祭壇を見る) 内陣西側入口を見る
祭壇内、天井はゴシック様式の典型。 壁画があるが判別困難。 説教台
説教台の背後にある壁画(タイトル; 考え込むキリストと呼ばれている)
<百八十五番札所; Boroskrakkó (ボロシ・クラッコー) カルヴィン派教会>
教会は、この村に移住してきたゼクセン人(ドイツ東部地方)がロマネスク様式で、1206~
1230年に建立した。 その後、16世紀に当時マイノリティだったハンガリー人と共に、
カルヴィン派の教会として、ゴシック様式で拡張、改築をした。
塔は1507年に増築(屋根をカルヴィン派の象徴とした形に)、内陣の天井はゴシック様式
(Csúcsives と呼んでいる)に改造、、同時期(15~16世紀)に教会を囲む石垣を作った。
現在、見られる教会は1902年の改築の物である。
南西から見た教会(西側の石垣が最も高い5m) 塔(西側)
南側からの内陣と塔 西側入口
東側からの教会(祭壇側) 北側からの内陣と塔
北側は住居が石垣を兼ねている (住居には今は、誰も住んでいない)
教会は、現在復元中であり、内部の参観は出来なかった。 近年中にミュージアムとして公開されるであろう。
石垣の大きさは、長径64m、短径55m である。
これで、「Alba (アルバ) トランシルバニアの教会は、お終いです。