今回は国道7号線が国道1号線と合流する町、ハンガリー語でSzászsebes (サース・シュベシュ、
ルーマニア語でSebes ) にある教会を訪ねる。 Szászsebes は Fehér 県の自治都市であって
人口は、24,165 人(2011年)であり、ルーマニア人が 22,551 人 (93.3%)、ハンガリー人が
131人(0.5%) である。
この地には、昔からルーマニア人が住んでいたが、実際に町作りをしたのは、ドイツから移住してきた
ゼクセン(ドイツ東部地方)人であった。 しかし、ドイツ人も 261人(1.1%) と非常に少なくなっている。
その後、12世紀の半ばに、ハンガリー王国の領地となり、中世のトランシルバニアにおける重要な町
となった。 町の周りに壁を巡らし、タタール人からの侵略(1241~1242年)に備え、堅牢なものに
したが、1438年にオスマン・トルコ軍に占領されてしまった。
トランシルバニアの隊長サボヤイ・ヤーノシはハンガリー軍を率い、ハプスブルグのオーストリア軍と
オスマン・トルコ軍との狭間で奮闘したが、1540年に、ここで最期を遂げた。
<百八十六番札所; Szászsebes evangélikus (サース・シェベシュ)ルター派教会>
教会は、13世紀初めに3層内陣、バジリカタイプのロマネスク様式で建てられた。 しかし、2つの
塔は、タタール人の襲撃によって破壊されてしまったので、1250年には、ロマネスク様式の西側単塔で、
内陣はゴシック様式で再建された。 1360年にはその内陣を3層構造に拡張した。
1400年頃に、教会の北隣にヤコブ礼拝堂を建てた。
1518年に、ハンガリー王ライヨシⅡ世より家紋入りの大きく、豪華な翼型祭壇を寄贈された。 必見の
遺物であったが、残念ながら拝観出来ず、教会は外観のみであった。
南東からの教会外観
南門(後期ゴシック様式) 門脇には、三つ葉模様の壁ガンがある。 内には
彫像の頭部が見える。
塔(西側) 西門(ロマネスク様式、南門との対比は興味深い)
北西からの教会外観
東側からの外観(祭壇側) 控え壁に飾られた彫像とゴシックの窓が上手く調和。
控え壁の彫像の数々
三つ葉模様の壁ガン(内部に彫像が埋め込まれている)
教会北隣のヤコブ礼拝堂(1400年頃の建立)
礼拝堂内部 教会の祭壇(ハンガリー王の家紋入り、カタログより)
これで、「Szászsebes (サースシュベシュ) トランシルバニアの教会」は、お終いです。