撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

Szaszsebes (サースシュベシュ)トランシルバニアの教会

2013-06-19 00:57:29 | 海外生活

 今回は国道7号線が国道1号線と合流する町、ハンガリー語でSzászsebes (サース・シュベシュ、

ルーマニア語でSebes ) にある教会を訪ねる。  Szászsebes は Fehér 県の自治都市であって

人口は、24,165 人(2011年)であり、ルーマニア人が 22,551 人 (93.3%)、ハンガリー人が

131人(0.5%) である。

この地には、昔からルーマニア人が住んでいたが、実際に町作りをしたのは、ドイツから移住してきた

ゼクセン(ドイツ東部地方)人であった。 しかし、ドイツ人も 261人(1.1%) と非常に少なくなっている。

その後、12世紀の半ばに、ハンガリー王国の領地となり、中世のトランシルバニアにおける重要な町

となった。 町の周りに壁を巡らし、タタール人からの侵略(1241~1242年)に備え、堅牢なものに

したが、1438年にオスマン・トルコ軍に占領されてしまった。

トランシルバニアの隊長サボヤイ・ヤーノシはハンガリー軍を率い、ハプスブルグのオーストリア軍と

オスマン・トルコ軍との狭間で奮闘したが、1540年に、ここで最期を遂げた。 

 

<百八十六番札所; Szászsebes evangélikus (サース・シェベシュ)ルター派教会>

  教会は、13世紀初めに3層内陣、バジリカタイプのロマネスク様式で建てられた。 しかし、2つの

塔は、タタール人の襲撃によって破壊されてしまったので、1250年には、ロマネスク様式の西側単塔で、

内陣はゴシック様式で再建された。 1360年にはその内陣を3層構造に拡張した。

1400年頃に、教会の北隣にヤコブ礼拝堂を建てた。

1518年に、ハンガリー王ライヨシⅡ世より家紋入りの大きく、豪華な翼型祭壇を寄贈された。 必見の

遺物であったが、残念ながら拝観出来ず、教会は外観のみであった。 

 

 南東からの教会外観

 

 

 南門(後期ゴシック様式)      門脇には、三つ葉模様の壁ガンがある。 内には

                       彫像の頭部が見える。

   

 

 塔(西側)          西門(ロマネスク様式、南門との対比は興味深い)

  

 

 北西からの教会外観

 

 

 東側からの外観(祭壇側)   控え壁に飾られた彫像とゴシックの窓が上手く調和。

  

 

 控え壁の彫像の数々

  

 

 

 三つ葉模様の壁ガン(内部に彫像が埋め込まれている)

 

 

 教会北隣のヤコブ礼拝堂(1400年頃の建立)

 

 

 礼拝堂内部      教会の祭壇(ハンガリー王の家紋入り、カタログより)

 

 

  これで、「Szászsebes (サースシュベシュ) トランシルバニアの教会」は、お終いです。

 

「バラトン遍路の旅」