シエナってどんな町? 簡単に頭に入れておくと旅行も一層楽しい。
1.トスカーナ州のシエナ県の県庁所在地で、1995年には街全体として世界遺産に
登録された。 人口は自治体全体で55,000人である。
2.帝政ローマ時代(紀元5世紀頃)にローマとフランス方面とを結ぶ主要街道の
中間都市で商業、金融、手工業で栄えた。
12世紀に入って、この地域は自治的な勢力が勃興し、都市国家が各地で生ま
れるようになり、シエナも13~14世紀半ばにかけて全盛期を迎えた。
特に金融面では、現在営業をしている世界の銀行で最古の歴史を持つモンテ・
パスキ銀行は1472年に設立され、ここシエナに本店を構えている。
1512年にスペイン軍に降伏して、宿敵であったフィレンツェ公国の領地となり、
シエナ共和国は終焉を迎えた。以後20世紀のイタリア統一を経て、現在に至る。
南の郊外から眺めたシエナの街
<ロケーション>
<シエナ市街地マップ>
① バスターミナル
フィレンツェやローマなどからの長距離バスはグラムシ広場が発着点である。
トッツィー通り→クルタトーネ通りを南下するとサン・ドメニコ教会に着く。
② サン・ドメニコ教会 (San Domenico)
1262~1265年にゴシック様式で建てられ、1531年の火災の後に再建された物が現存。
教会内部
サン・ドメニコ教会からドゥオーモを眺めながら坂を下っていく。
③フォンテブランダの泉 (Fontebranda)
ドメニコ教会の真下に、シエナで最も古い水道がある(1246年に完成)
まだ水が悠々と厳かに生きており、中世が偲ばれる。
フォンテブランダを、ちょっと登った所に守護聖人の聖女カテリーナの生家と礼拝堂がある。
④ サンタ・カテリーナの生家 (Casa di Santa Caterina)
礼拝堂; もとは台所だった為に「台所の礼拝堂」と呼ばれている。
聖女カテリーナの生家から右の脇道を行くとドゥオーモ広場に出る。
⑤ ドゥオーモ(大聖堂)広場 (Duomo)
1179年に、これまで有ったサンタ・マリア大聖堂の所に再建され、その後増築を重ねた。
正面真ん中の扉
ドゥオーモの正面両端に立つシエナの紋章「双子を育てた雌狼」像を載せた柱。
ドゥオーモ内部
ドゥオーモのドーム天井
ドゥオーモの対面、左がマリア・スカラ救済院教会、右が大司教館
⑥ サン・ジョヴァンニ洗礼堂 (San Giovanni)
ドゥオーモの後陣に延長した形で、1355年に設けられた。
ドゥオーモの門を抜け、チッタ通りをカンポ広場に向けて(北に)行くと、
⑦ キージ・サラチーニ宮殿 (Palazzo Chigi Saracini)
1200年代に建てられた宮殿で、現在はキジアート音楽院として活躍している。
チッタ通りを更に進んで右の脇道に入ると、レンガを規則正しく敷き詰めた
⑧ カンポ広場 (Piazza del Campo)
プッブリコ宮殿(1284年に建立、市庁舎として使用)とシエナのランドマーク
「マンジャの塔」は1348年の完成、高さ87m。
カンポ広場まで水を引いた「ガイヤの泉」が扇形外周の中心部にある。
カンポ広場の周りを中世の宮殿が取り囲み、素晴らしい調和を醸し出している。
広場の礼拝堂;1376年のペスト蔓延の際に祈願として建てられた。
カンポ広場を出て、バンキ・ソプラ通りをバスターミナルの方に戻ると、
⑨ サリンベーニ広場 (Plazza Salimbeni)
サリンベーニ宮殿(現在は世界最古のパスキ銀行が使用)を真ん中にコの字の広場。
⑩ 中世の街の路地たち
Galluzza 通り Citta 通り
中世において、トスカーナ地方の覇権をフィレンツェと競ってきたシエナには、もう一つ
のルネッサンス芸術の宝庫。 特に絵画、壁画はもう一度じっくり見てみたい気がする。
又、どの案内書でも旅のお薦めは、7月と8月に行われるカンポ広場の「競馬」であるが、
最後に触れておかない訳にはいかないだろう。
それはコントラーデ(地区組織)によるパリオの祭典である。
カタログからの借用につき、何時の写真かは不明。
これにて、「シエナ(イタリア)の教会」はお終いです。
「バラトン遍路の旅」 http://motsukahu.web.fc2.com
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