<ロケーション紹介>
この地に、最初(4世紀頃)に住みついたのはケルト人で、立地条件の良さから多くの民族が
移ってきた。 町の丘の上に最初に教会が出来たのは1009年からだという記録がある。
教会は、聖アンドラーシを祀ったために、町の名前の由来がそこから来たと云われている。
町を壁や柵で囲って商業都市として栄えたのは14世紀からで、当時の主要都市ブダペスト
とヴェシェグラードとの中間地点という利便性も寄与した。
その後、オスマン・トルコの支配によって住民は町を逃れ、再び、町に人々が戻り溢れ始めた
のは、トルコ軍が引き上げた1690年頃からであった。
ユーゴスラビアのスラブ人(6000人)が最も多かったが、ドイツ、ギリシャ、ボスニア人等が
自分達の信仰する教会を建て、この小さな町の中に7つもの教会が存在した、まさに多民族が
共栄共存した小さな国際都市であったと云えよう。
ブダペストから約20kmという近さと、恵まれた大自然にもより、夏の避暑地として都会の人達
にも親しまれいるが、四季を通して多くの外国人観光客を集める町である。(人口は23,000人)
ドナウ川沿いの町 中央広場
ギリシャ正教会大聖堂(1756~1764年建立)
建屋はバロック建築、内部はバロックとロココ様式でイコン(聖画)多数。
<九十七番札所; Szerb Ortodox (セルビア正教)教会>
教会は、著名な建築家 Mayerhoffer András (マイヤーホファー・アンドラーシ)によって
1752年にバロック様式で建てられた Blagovestenszka (聖母受胎予知教派?)セルビア
正教会である。
鐘塔の窓と木製(オーク材)の門はロココ様式
門の上に掲げてあるフレスコ画はオリジナル 脇にあるのが墓石(Tolojanni Demeter作)
左側、説教台と数多くの聖者を描いたイコン(ロココ様式)
司教椅子(オリジナルで保存) 内陣入口側
<九十八番札所; ローマ・カトリック教会>
別名: Kereszteló sent János Plébania Templom (聖ヤーノシ司教教会)
教会は、センテンドレで一番古く、最初の石作りの教会(ロマネスク様式)で13世紀建立であった。
後に、14~15世紀にゴシック様式に、18世紀にはバロック様式に再建された。
三つの様式(ロマネスク、ゴシック、バロック)が適度に混在し、うまく調和している。
丘の上に佇む教会
石垣に囲まれた教会 外壁に掛かっている日時計
教会入口門 外壁に保存されたゴシックの窓
内陣祭壇側
祭壇天井の壁画(バロック様式で聖書のシーンを描いている)
内陣入口側
これで、「Szentendre (センテンドレ)の教会」はお終いです。
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