<ロケーション紹介> Györ のöスペルが違うことをご容赦下さい。
Györ(ジュール)は、ウィーンとブダペストのちょうど中間地点で、ブダペストからは125km離れている。
“Arrabona(アッラボナ” という地名で昔からよく知られ、呼ばれていたらしいローマ帝国の町であった。
Arrabona の名前の由来は、Arrabo (今のRábá川)河口に横たわる町から来ている。
ハンガリーの西の玄関口としての交易都市として古くから発展してきた。
人口は約13万人、国内では6番目の大きさで、古くは11世紀に国王イシュトヴァーン1世によって
司教座が、この町に設置されたことより、宗教の中心地としても栄えてきたが、現在は自動車産業
市街地の中には歴史ある公共、民間の建物が多く、古きを残しモダンが混在した街で、あなたに
király 通り: エステルハーズ宮殿17世紀創建(バロック建築)
Rákóczi Ferenc 通り; 住居(1720年創建) 聖アンナ教会(1730-35年)
Rákóczi Ferenc 通り: Xántus János Múzeum (歴史博物館18世紀創建)
Vörösmatly 通り: Orsolyita 教会(1762建立)
Karmelita (カリメリタ)教会) 1721~1725年建立
大きな街に有り勝ちな(たぶん財力があるせいだろう)、教会は再建、改築が繰り返され古い物が
新しい物に置き換わってしまう。 Györ においても興味ある古い教会はここだけである。
最初の教会は11世紀に建てられたが1241年には破壊され、1256年にロマネスク様式で再建
された。 1460~1480年に、Monoszlói C. Demeter によって、教会の壁には花崗岩を使い、
高いアーチ形状の天井に対角線のリブを這わせた構造(ゴシック建築の特徴)で拡張された。
1635~1645年には、Giovanni Battista Rana の設計をもとに、現在のバロック様式に改築。
豪華絢爛バロック様式の主内陣 主内陣天井に描かれた聖母マリアの絵
北側の翼内陣の祭壇部半円天井はオリジナルのもの。 クロンフェルト司教がアイルランドより
大聖堂の南側内陣の隣に、聖ラスロー礼拝堂(別名ヘーデルヴァーリ礼拝堂)が