Veszprém 市街から北西に70km離れたところに Pápa (パーパ)という町があり、
人口は約32000人でVeszprém県の県境に位置し、Veszprémの行政域内である。
Pápa は辞書を引くと「ローマ教皇/法王」という意味になる。 教会を巡ろうと志す者としては、
Pápa はドナウ川流域の町のなかでは、プロテスタント(カルビン派/ルター派))の中心的な
町であることから、さほど古い教会がなく、革新的で文教の町であったと思われる。
その根拠として、ハンガリーを代表する作家、Petofi Sándor, Jókai Mór, Eötvös
Károly, Thaly kálmán 等の学んだ地である。
1531年に建てられた改革派のカレッジ(Református kollégium) には彼等を輩出
但し、今日見られる学校の建物は1895年に改築されたものである。
余談ではあるが、この原稿を書いている日(2月11日)に、時を同じく、現ローマ法王
(ベネディクト16世)の退位表明が世界を駆け巡ったことは奇遇と思えてしまう。
<六十四番札所; Kéttornyúlak Református (カルビン派)教会 >
ところ; Pápa のダウンタウンを5kmほど南下(国道83号線に向け)した、パーパ通り
沿いにあるKéttornyúlak (ケート・トルニューラク)という村にある。
この教会は、12世紀にロマネスク様式で建てられたプロテスタント(カルビン派)の
2つの尖塔を持ち、その下の入口門はオリジナルを保存している。
村の名前 (Kéttorny)はハンガリー語で「2つの塔」という意味からして村の名前の方が
ドナウ川流域でも、屈指の大きさの教会のひとつであるが、古くはない。
ローマカトリック司教教会として Fellner Jakab を祀る為に、バロック様式で、当時の
領主Esterházy Károly (エステルハージ カーロイ)によって、1774~1786年に
両サイドの像には、カラーラ(イタリア北西部)の大理石を使用(Prokop Fulop の作)
絵はHubert Maurer の描いた「殉教者聖イストヴァーンの描写」
内陣の天井ドームに描かれているフレスコ画は Maulbertch (マウルベルチ)の作品
<六十六番札所; Pépa Remormétus (カルビン派)教会 >
二つの尖塔を持ったネオルネサンス様式の新しい教会である(1941年建立)
ドナウ川流域で最も大きく、ハンガリー国内で4番目のカルビン派の教会と云われている。
<六十七番札所; Lovászpatona Evangélikus (ルター派)教会 >
ところ; Pápa (パーパ)の町より、北東(国道82号線)に向かって、22kmほど北上したところ
の村 Lovászpatona (ロヴァス・パトナ)にある。
教会はプロテスタント(ルター派)の教会で、13世紀にロマネスク様式で建てられた。
その後、何回か建て替えられた。 最初はゴシック様式で、次に18世紀にバロック様式に。
祭壇の天井には、神のフレスコ画が残っている。 塔の下の入り口